連載

2018.05.25

海外

人間が「ゆっくりする」ための条件。メキシコの広場から

【連載】望月優大の『旅する啓蒙』第4話

『旅する啓蒙』は旅で出会った街、人、食や文化について徒然なるままに書いていく連載企画。今回の舞台はメキシコ。「ソカロ」と呼ばれる広場から、「人間がゆっくりするための条件」について考えます。

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ソカロの人々

メキシコの首都メキシコシティから北西にバスで4~5時間ほどの距離に、グアナファトやサンミゲルデアジェンデといった高原の街々がある。スペインによる植民地化の過去を色濃く残すいわゆるコロニアル建築の街並みが広がり、その美しさから観光地としても有名な場所だ。

サンミゲルは石畳の小さな街で、その中心に程良い大きさの四角い広場がある。広場はスペイン語でソカロ(Zocalo)と呼ばれる。ソカロを取り囲む4つの辺の一つはサンミゲル教区教会に接していて、ほかの3辺をレストランや土産屋、ATMなどが入る回廊状の建物が取り囲んでいる。

ソカロの中心部は公園のようになっており、美しく刈り込まれた木々が茂っている。その下に敷き詰められたグリーンのベンチにはたくさんの人たちが座っている。

一人でぼんやりスマホをいじっている人。アイスを舐めている人。何人かで集まって談笑している人。靴磨き屋に足を預けて新聞を読んでいる人。

美しい教会をバックにセルフィーを撮っている観光客。そんな観光客に駄菓子やら風船やらをすすめる売り子。露天を出してアイスやタコスを売る人。

制服を来て走り回る学校帰りの子ども。薄汚れた服をまとい片手を差し出す物乞いの子ども。その子どもを少し離れたところから見つめる物乞いの母親。

そうして、私もソカロに座っている。ゆったりとした風が吹いている。

ソカロには街を構成する様々な種類の人が集っている。ソカロのベンチにしばらく腰掛けてみれば、同じ時間をかけて街をぐるぐる回るよりもよほどこの街のことがわかってくる。サンミゲルのソカロはそんな場所だった。

自分の街を、案外知らない。

ソカロのベンチに座りながら、ぼんやり日本の投票所のことを思い出していた。

みなさんは投票所に行ったことがあるだろうか? もちろん「投票所」という場所があるわけではない。役所だったり、学校だったり。そうした公的な場所が選挙のたびに一時的に投票所として指定され、地域の人々に開放される。

普段は入ることもない地域の小学校に、その日はそっと入る。そんな投票所の雰囲気が自分はとても好きだ。なぜならその日だけは投票所に並ぶ人たちを眺めることができるから。

迷いに迷ったけれど、、選びました!自分なりに!

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昨年秋の衆院選で私と同じ30代の投票率は45%を下回った。20代は35%と少し。投票所に行っていない人の方が多いのだ。投票所の不思議な雰囲気を体験したことがないのは勿体無い。ぜひ次の機会があったら行ってみてほしいと思う。そうすれば、これから書いていくことの意味がもう少しわかってもらえるだろうとも思う。

私は都心に近いところで暮らしていて、いわゆる地縁と呼ばれるつながりとは無縁の暮らしを送っている。

地理的にすぐそばに暮らしている人、同じ街で暮らしている人たちのことをあまり知らない。お店で経済的なやり取りを介するくらいしか街の人たちと知り合う機会がない。そして、お店の人たちは案外遠くから通いで来ていることも多くて、街の人ではあるけれど、街に住んでいる人ではなかったりする。今は、そういう暮らしを送っている。

投票所に行くと、街の人たちが大挙してそこにいる様子を目撃することになる。

彼らの共通点は、この街に住んでいるということだけだ。通いではなく、住んでいる人たちが集まっている。彼らを眺めていると、普段の生活の中で、カフェ、駅、スーパーや本屋で見かける人たちからいつの間にか頭の中に生成された「街のイメージ」が溶けていくのを感じる。

自分の街には、自分が普段見かけない人たちが住んでいる。それも、こんなにたくさんだ。そういうなんともいえない違和感を投票所での時間は与えてくれる。自分が投票する番を長蛇の列で待ちながら、自分の街を知るきっかけと、自分の街を案外知らないということを知り直すきっかけが少しずつ与えられて行く。

メディアや他人の言葉を介するまでもなく、自分が世界に対してもつイメージはいつだって歪んでいる。その歪みをそっと正してくれるような、そんな特別な場所、社会的装置として投票所はある。少なくとも、自分のような物好きにとっては。

ソカロを想像する

ソカロのベンチに座って、周りの人たちを見渡しながら、もやもやと連想が膨らんでいく。連想のもとになったソカロと、連想の到着先となった投票所。二つの空間を並べてみると、似ているところだけでなく、似ていないところもあるように思えた。

似ているのは、街の色々な人が一つの場所に集まっているところ。その空間にいるだけで、この街にはこんな人たちが暮らしているんだということがわかってくる。

反対に二つの場所が似ていないのは、ソカロが日常で、投票所が非日常であるというところ。ソカロは毎日そこにあるけれど、投票所はたまにしか現れない。そういう違いがある。

私は想像してみる。
ソカロのある暮らしを。
ソカロがある日常が一体どういうものなのかを。

仕事終わりに、学校帰りに、ソカロに寄ってみる。何もすることがない休日に、ふらりとソカロに行ってみる。

ソカロに行けば、自分が知っている誰か、自分のことも知っている誰か、そんな誰かがそこにいるかもしれない。待ち合わせをするかどうかに関わらず、そこに見知った顔があるかもしれない。そして、ソカロに通いながらまだ知らない街の人々を新しく見知っていく。そういう場所としてソカロはあるのだと思う。

ソカロに行くのにお金はいらない。ソカロには誰でも入れるし、何時間いたって構わない。ソカロでは商売をしてもいいし、買い食いをしてもいい。何も買わなくてもいいし、本を読んでいてもいい。子どもが走り回ってもいいし、物乞いをしてもいい。

ソカロは、ソカロを受け入れる人を受け入れる。ソカロを受け入れるということは、ソカロにいる人たちを受け入れるということだ。物乞いも、観光客も、排除しない。そんな人たちがソカロに受け入れられる。物事を反対から見れば、ソカロがそうやって人々の振る舞いを方向付けているとも言えるかもしれない。

ソカロの雰囲気というものが、そうして生み出されていく。ソカロに腰掛けていると、社会は中身と器の相互作用で出来上がっているのだということが少しずつわかっていく。

ソカロは気持ちがいい

ソカロは気持ちのいいところだった。実のところ、ただこれが言いたくてこの原稿を書き始めたようなものだ。どんな風に気持ち良かったのか、言葉で伝えられるだろうか。

ソカロの気持ち良さをつくるもの、まずそれは木々が生み出す影であり、木々の合間を縫うそよ風だ。私がメキシコを訪れた5月の上旬は雨季のはじまりで、夕方からスコールのような土砂降りの雨が降る。朝になるとカラッと晴れて、また夕方に雨が降る。その合間の時間が天国のように気持ちがいい。

でも、思い返してみれば、ソカロのベンチは鉄製だし、何かとガヤガヤしているし、物売りも寄ってくるのだ。改めて文字にすれば、居心地の良さとは反対の要素ばかりのようにも感じる。果たして木陰とそよ風のほかにも何か気持ち良さのもとになる秘密があるのではないだろうか。

私はその秘密がソカロの無目的性にあるのではないかと思っていた。もう少し正確に書くと、ソカロが様々な種類の目的に対して開かれている、つまり、あらゆる目的に対して無差別的であるというのがポイントではないかと感じていたのだ。

ソカロに来る人たちがみな無目的にそうするわけではない。これまでも書いた通り、土産物を売りに来る、靴を磨きに来る、ペットを遊ばせに来る、そうした目的を一人一人は持っている。でも、ソカロ自身はそうした目的のうちのいずれかのためだけに作られているわけではない。その全てを受け入れる器のようなものとして機能しているだけだ。

だから、ソカロは店ではないし、何らかの施設でもない。店も、施設も、何らかの目的のために作られる。そして、その目的に合わせた形状を備え、その目的に沿って機能する。

対するソカロは広場なのである。広場は様々な目的を持った人間を受け入れる。ただし、車は受け入れない。タクシーもバスも入れないようになっているのだ。動くための場所である道をせき止めることで、人間が人間のスピードで、それぞれの目的に合わせて止まったり走ったりできる空間が生み出されている。

ソカロに集う人々は誰もあなたの行動の目的や意味を気にしてなどいない。だから楽なのだ。

あなたが言葉の真の意味で「ふらりと」訪れることのできる場所は一体どれくらいあるだろう?

無料であること

様々な目的を受け入れる、そして無目的を受け入れる。その性質と表裏一体なのが、ソカロが入場無料であるということだと思う。

何を当たり前のことをと思うかもしれないが、現代の東京では「ゆっくりする」のは「お金を払ってする」ということになっているから侮ってはいけない。つまり、お金を払わずにゆっくりするのはとても難しくなっているということだ。あらゆる場所にカフェがあり、私たちはゆっくりする料金の代わりにコーヒー代を支払う。

しかしである。「お金を払ってゆっくりする」なんてことが本当にできるのだろうか。私は疑問に思う。カフェでお金を払った私たちは知っている。自分がたった300円かそこらしか支払っていないことを。すると、「こんなに長居したら嫌がられるのではないか」とか、「カップが空になったら気まずいから少しだけ残しておこう」とか。そういう心配が頭をもたげてきたりもする。

私たち近代人は自分がいる場所の設計者の視点を内面化する。そして、その視点に沿って自らのふるまいを制御する。そうした自己制御の構造が、私たちが日々味わう微細な不自由な感覚の根っこの部分に横たわっているだろうと思う。

カフェに限らない。会社の中でも、電車の中でも、同じである。設計者の視点に沿った「行儀の良いふるまい」というものを私たちは自然と悟ってしまう。そして、自分の思いに沿ってくつろぐよりも、他者の期待に沿って疲れてしまうのだ。

そうしてソカロに立ち戻れば、ソカロが無料であり、ソカロが特定の目的と紐づいていないということの意味がまた違った色合いとともに見えてくる。大事なことは、ソカロには内面化すべき特定の設計者の視点が存在しないということだ。だから、人々はそこで自分とともに思いのままに過ごすことができる。

過ごし方も、過ごす時間の長さも自由。だから、気持ちがいいのだ。本当にゆっくりできるのである。

人間がゆっくりするための条件

人間は一人で生きているわけではない。他者とともに生きている。だから全てが自分の思い通りというわけにはいかない。けれど、私たちは自由を求めているし、居心地のいい時間を求めてもいる。

「他者とともにゆっくり気持ちよく過ごす」というのは、私たちにとって大問題なのだ。簡単ではないのである。

だからこそ、ソカロのうちに確かに秩序が存在するということについてずっと不思議に思っていた。ソカロでは酒を飲んでベロベロになった人も見かけないし、タバコをポイ捨てする人もほぼいない。人々がそれぞれ自由に動いているようで、全体としては確かな秩序が保たれているのだ。

こんな出来事もあった。

ある日の夕方、一杯飲もうかと思ってソカロに面したカフェに入った。ソカロに向かった店先にテーブルと椅子が配してある。

店員に声をかけて案内を待っている。すると、すぐそばのテーブルの男性がちょうど会計を済ませてカフェを後にした。彼がいたテーブルの上にはチップのコインが並んでいた。

すると、偶然か否か、一人の物乞いの少年がその場に現れた。彼はテーブル上のチップに気づいて大きな目玉をさらに見開いて凝視している。実際のところ、その様子を目撃している第三者などいなかったようにも思うから、彼がチップを持って帰ることも造作ではなかったはずだ。

でも、彼はあえてそれをしなかった。何かが彼にそれをさせなかったのだ。

自由の中の秩序。その不思議の理由がすべてわかったわけではない。

ただ、誰のものでもないソカロでは、そこに集うみんながその空間を上手に分け合っていた。そして、その分け合いを通じて、自由と秩序が均衡する地点が日々導き出されているようだった。

人間が思い思いにゆっくりと腰掛ける。この世界に充満して然るべきそうした瞬間は、奇跡のようなバランスをつくり維持した人々のみが自らに与える特権なのかもしれない。

自分の街

サンミゲルを後にした私は、メキシコシティから飛行機に乗って時差を14時間分も足し上げながら自分の街へと戻ってきた。

一眠りした後、時差ボケでふらふらしながらも、旅での感覚を確かめるように街を歩いてみる。やはり、ソカロに類する場所は見当たらない。

代わりに線路の高架下のスペースはできたばかりの商業施設で埋め尽くされていた。川沿いの細長い場所を取り囲むかのように、役所がつくった「ここに自転車・バイク・資材等は置けません」という背の低い看板が置かれていた。私有地でもないだろう道路脇の小さなスペースは、いくつかの赤いコーンと黄・黒のプラスチック製の棒で遮られていた。

私の街のいたるところで、人間がただゆっくりすること自体があからさまな形で禁じられていた。

私の街では、自由と秩序のバランスが試されるような空間というもの自体が失われているようだった。寝る場所、金を稼ぐ場所、金を落とす場所。そればかりになっているようだった。

私的な場所も、公的な場所も、あまり開かれてはいなかった。何もしないでいい場所、立ち止まっていてもいい場所というのは少なくなっているようだった。散歩はできてもゆっくりしづらい。そういう街に、私は住んでいたのだ。

私はこの街にもソカロがあったらいいなと思った。選挙がなくても、街の人たちと同じ時間を過ごせたらと思った。

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書いた人 : 望月 優大

ライター・編集者。株式会社コモンセンス代表取締役。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。経済産業省、Google、スマートニュースなどを経て独立。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(地域文化研究専攻)。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。1985年生まれ。

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