連載

2018.01.11

海外

巨大な保育園のような街。辺境の旅から見える中国14億人の未来

【連載】望月優大の『旅する啓蒙』第3話

『旅する啓蒙』は旅で出会った街、人、食や文化について徒然なるままに書いていく連載企画。今回の舞台は中国北西部にある新疆ウイグル自治区。ウイグル自治区篇は今回で完結です。

第1話 中国のなかのイスラーム。ウイグル自治区のカシュガルと赤いソウルフード
第2話 警察は突然やってくる。ウイグル自治区「見えない壁」の実態

これも中国。カラコルムハイウェイ

「カラコルムハイウェイ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。旅好きの方なら知っていると思う。中国西部の新疆ウイグル自治区とパキスタンのギルギット・バルティスタン州を結ぶ道路の名前だ。

高い高いカラコルム山脈を走り、周りには大自然が広がる。人間はあまりいない。動物は少しだけいる。牛、羊、ラクダ。

今回の旅の目的の一つはこのカラコルムハイウェイという旅人の聖地を自分の目で見ること。「死ぬまでに一度は〜」というやつだ。パキスタン側への国境越えは持ち時間の関係で叶わなかったが、国境近くの街、タシュクルガンにまでは行ってみた。

タシュクルガンから旅の拠点カシュガルへと戻る道すがら、たくさんの絶景に出会った。


高い場所から眺めたカラコルムハイウェイ(横向きに走っている道がうっすら見えると思う)


カラクリ湖(標高3600m)。後ろに見えるのが聖峰ムスタグ・アタ山(7546m)


キルギス族が暮らすゲル(移動式の家)


「砂の山」という名のブルン湖(3200m)。湖畔が砂漠化している


ブルン湖のそばを歩いていた牛


崑崙山脈最高峰のコングール山(7649m)

ただただ素晴らしい。

そして、ここもまた中国なのである。本当に広くて大きな国だ。

その事実を飲み込むのにだいぶ時間がかかる。これまでイメージしてきた中国とは似ても似つかない中国。小籠包でも、パンダでも、毛沢東でもない、辺境の中国がここにある。

中国とは、何だろうか。

プロフィール
望月優大
ライター・編集者。株式会社コモンセンス代表。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。経済産業省、Googleなどを経て、スマートニュースでNPO支援プログラム「ATLAS Program」のリーダーを務めたのち17年12月に独立。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(地域文化研究専攻)。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。1985年生まれ。

子どもの数が、とにかく多い。

何かを理解するには、真ん中よりも端っこを見たほうが良い。そんなことはないだろうか。

つまり、「辺境だからこそ、気づける本質があるのではないか」という話なのだが、それとは反対に「中心にこそ本質があるだろう」と考えるほうがふつうかもしれない。

日本だったら、東京。中国だったら、北京、上海。「中心にこそ、その国の本質が凝縮している」ついそう考えてしまうようにも思う。けれど、それとは違う形で本質を捉える方法がありそうだなと、そんなことをこの旅を通じてずっと考えていた。

さて、憧れのカラコルムハイウェイを自分の目に焼き付けたのち、私はカシュガルの街に戻ってきた。カシュガルは古くて歴史のある街だ。特に「老城」と呼ばれる旧市街地区の街並みはフラフラと散歩するだけでもとても楽しい。中国のほかの街とは異なり、イスラーム教徒であるウイグル族やその他の少数民族が多数を占めている。

※参考:連載第1話 中国のなかのイスラーム。ウイグル自治区のカシュガルと赤いソウルフード

「旧市街」と言っても、観光客にお金を落としてもらうことに最適化されたテーマパークのような旧市街ではない。入れ物ばかりが古くて中身は新しい土産物屋ばかり、そんなよくある「古い街並み」にはまだなっていなさそうだ。カシュガルの旧市街にはそんな香りと手触りがある。

街を散策しているとすぐにあることに気づく。


サッカー(?)をして遊ぶ子どもたち

そう。この街には子どもがとても多い。街中が子どもたちに埋め尽くされていると言ってもいいくらいだ。360度どこを見ても子ども、子ども、子ども。振り返っても、振り返っても、子どもだらけである。

少しでも雰囲気をつかんでいただけたらと思うので、まずは子どもギャラリーをご覧に入れようと思う。

だいたい、こんな感じだ。


かわいい


男の子たちのあいだではメンコが流行していた


子どもたちも仕事をする(風船売り)

特徴的だなと思ったことがいくつかある。まず、東京のように「親が遊ぶ子どもたちをすぐ近くで見守っている」というようなことがない。子どもたちは子どもたち同士でめいめい勝手に遊んでいる。そして、年代の違う子どもたちが一緒に混じり合って遊んでいる。もしかしたら、少し上の子どもが下の子どもたちの面倒を見ているのかもしれない。

自分がよく見知った社会では当然とされているいくつかの境界線が、この街ではもっともっと曖昧であるように見える。

大人と子どもの境界線。
家族とまた別の家族の境界線。
家と街の境界線。

色々な境界線が曖昧に感じる。そしてそれが不思議と心地よく感じられる。

散歩する私が出会うのは遊んでいる子どもたちばかりではない。この子どもは道ばたで勉強をしていた。たぶん、学校の宿題をやっているのだと思う。


この空色の服はおそらく学校の制服。ほかにも着ている子を何人も見かけた

「なんで路上でやるのかな」とも思うのだが、彼にとってはここでやるのが普通なのだろう。彼のすぐそばでおばさんたちが5人くらい集まって、まったり井戸端会議をしている。

おばさんたちのうちの誰かがこの子のお母さんなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。答えはわからずじまいだ。「まあ、どっちでもいいか」そんな気持ちが自然と湧いてくる。

読者の気持ちを行ったり来たりさせたいと思うのだが、東京で同じような状況だったとして「まあ、どっちでもいいか」とは思わないのではないか。北京でも、上海でも、きっと同じだろう。この子どもはどの家族に属しているのか、その家族の大人たちは子どもの面倒をきちんと見ているのか、大人たちは子どもを様々な危険から保護できているのか。そういう心配の存在がこの街ではあまり感じられない。

それは、二つの違う種類の社会のあいだにあるとても大きな違いではないかと思う。同じ世界に暮らしていても、日常を縁取る「当たり前」は同じではない。そんなことに、気づかされる。

このオレンジ色の服を来た子。この子に至ってはまだ「赤ちゃん」から片足を一歩踏み出し始めたくらいの年頃だと思うのだが、ご覧の通り夕暮れどきの広場をたった一人でドヤ顔で闊歩していた。

ちなみに中国ではたまに見かけるのだが、ズボンのお尻に穴が空いていて直接用が足せるスタイルのファッションをしていた彼。プリプリの割れ目を見せつけながら、ニコニコと笑みを浮かべつつ私の周りをぐるぐると歩き回っていた。

その場を支配していたのは間違いなく私ではなく彼だった。

保育園のような街

こんな風にも思えてくる。

この旧市街全体が「一つの巨大な保育園」のようなものとして機能しているのではないか。東京の親たちだって、自分の子どもが保育園にいるあいだは安心して目を離すことができる。そして、そのあいだに仕事に行くことができる。家の用事を済ませることができる。

それと同じように、この街では、「赤ちゃん」や「子ども」や「大人」が曖昧なままに混ざり合い、互いにゆるく結び合いながら、保育園のような安心感をより大きな規模感で実現しているのではないだろうか。

この赤ちゃんを見てほしい。目がくりくりしていてとても可愛いのだが、この子を抱えている大人はこの子の親ではなく自分が現地で雇ったガイドの女性である。


ガイドさんはこの赤ちゃんと親、その両者とも顔見知りでもなんでもない。ただそのそばを通りすがっただけだ。それが、いきなりこの赤ちゃんを担ぎ上げてほっぺにキスをし始める。親もその様子をニコニコと眺めている。

この距離感である。これが自分にはとても不思議だった。何が不思議かと言えば、これは単に「コミュニティが狭くて全員が顔見知りである」ということではないからである。顔見知りではない、全くの他人に対して、ここまで近い距離感で接することができる。その状況に目を丸くしたのだった。

一体この不思議な距離感は何によって担保されているのだろうか。

やや唐突に感じられるかもしれないが、私はそれを「民族」ではないかと思った。

他人であって他人でない存在。家族でないのに、互いに近い距離感で接することを許し合う存在。そこに「同じ民族であるという意識」が働いているように思えたのである。あるいはイスラームという「同じ宗教的共同体の一部であるという意識」もそこに関わっているのかもしれない。


多民族国家中国の中で暮らす少数民族の子どもたち。言語、宗教、文化、様々な点で多数派の漢族とは異なる人々がいる。

そして、そこまで考えて、「民族」や「宗教」といった白黒はっきりつけようとする概念だけで説明するのは大雑把に過ぎるのだろうなとも思った。簡単に答えは出ない。

いずれにせよ、「家族や顔見知り」と「全くの他人」との間に、「いきなり赤ちゃんを担ぎ上げてほっぺにキスしても大丈夫な関係性」があるのだ。そのことが私にはとても面白かった。そして、街全体がこのような保育園にも似た安心感に包まれているとすれば、子どもを育てる大変さがそうでない社会とは全然違うだろうなとも思った。

ちなみに、余談のようで余談でもない話を一つ付け加えてみる。

私は、この街が保育園のようであるだけでなく、老人ホームのようでもあるなと思っていた。この写真をご覧いただきたい。

日なたぼっこする良く似た服装のおじいさんたち。彼らのあいだにも先ほどから話している距離感と同じような近さを感じないだろうか。

いまは夢中になってメンコをしている子どもたちも、60年経てば、このおじいさんたちのように一緒に並んで日なたぼっこをするようになるのだろうか。

少数民族の未来

さて、話はこれで終わらない。というかまだ終われない。ここから考えるべきことについて、もう少しだけ書いておきたいことがある。

まず最初に。この話は「日本民族のつながりを復活させたい」というような言説に加担するために書いたわけではもちろんない。旅先で自分の目で見た個別具体的な不思議について自分の頭で考え、記しているだけである。何かが失われたと勝手に想像し、勝手に復活させようとする、そんな勝手な振る舞いに加担するつもりは私にはない。そのことを文字にしてここに書いておく。


観覧車の中から見たカシュガルの街。古い街並みと新しいビル群が隣り合っている

次に、中国という国、そして新疆ウイグル自治区という場所で現在進行形で起きていることに触れないわけにはいかない。大きく分けて二つのことが起きている。

一つは、漢語のメインストリーム化。すなわちウイグル語など少数民族言語の継承が難しくなっているということ。これは主に、公的な学校教育の現場で漢語が優勢になっていることによって発生している。ガイドさんも「小学生の娘がウイグル語の会話はできるけど読み書きが難しくなっている」と悲しそうに話していた。

もう一つは自治区への漢族の大規模な移住。街ごとのバラツキはあるものの、こうした人の移動によって、自治区内における民族間の人口バランスが大きく崩れ始めているということだ。

私が歩いたカシュガルはいまだウイグル族が人口の9割以上を占める街。けれど、例えば新疆ウイグル自治区の首府であるウルムチでは、すでに漢族のほうが多くなっているとも言われる。これからカシュガルでも漢族の流入は進んでいくだろうから、それに応じて人々のライフスタイルも変わり、街の雰囲気も変わっていくに違いない。


カシュガル中心部のスーパーマーケット

中国では漢族を中心に70年代の終わりから「一人っ子政策」が導入され、この過激な人口政策によって急激に少子化が進んだとも言われている。他方、少数民族や農村地区は産んで良い子どもの数が多く、カシュガルで子どもが多いのもそのことに由来している部分がある。

最近になって、中国政府は少子化が進みすぎたために人口政策を転換し始めた。が、あまりうまくいっていない。2015年に夫婦のどちらかが一人っ子ならば第二子の出産を認めるという「二人っ子政策」へと政策を反転したのだが、このルール変更のあと、実際に第二子を産んだのはその資格がある夫婦の10%にも満たなかったと言われている。

つまり、一人っ子政策というルールがあろうとなかろうと、経済成長に伴うライフスタイルの大きな変化に応じて「二人以上子どもを持ちたい・持てる」と考える夫婦自体が減ってしまっているのだ。


スーパーで売っていた様々な「キャラクター」もののぬいぐるみ

漢族を中心とする中国全体が通過しているこの大きな変化。この変化は教育や移住を通じた新疆ウイグル自治区の「漢化」を通じて、ウイグル族をはじめとする少数民族の暮らしをも同様の大きな変化へと巻き込んでいく可能性が高いだろう。

その大きな変化を経験したあと、私が驚かされた「巨大な保育園のような街」の何が残り、何が変わっていくのだろうか。メンコをしていた子どもたちがおじいさんになった頃、彼らはやはりみんなで並んで日なたぼっこをしているのだろうか。それともしていないのだろうか。

日本の隣には約14億の人口を抱える中国という国がある。この国がいまどのような力学に巻き込まれているか、新疆ウイグル自治区に行ってこそ、カシュガルを歩いてこそ、考えられることがある。そんな風には言えないだろうか。

何かを理解するには、真ん中よりも端っこを見たほうが良い。

辺境だからこそ、気づける本質がある。
辺境を歩くことで、見えてくる中心がある。

私はそれを、旅の効用と呼びたい。

(次回からキプロス篇に入ります。お楽しみに。)

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連載一覧
第1話 中国のなかのイスラーム。ウイグル自治区のカシュガルと赤いソウルフード
第2話 警察は突然やってくる。ウイグル自治区「見えない壁」の実態

参考文献
藤野彰・曽根康雄(編著)『現代中国を知るための44章【第5版】』明石書店、2016年
メイ・フォン『中国「絶望」家族 「一人っ子政策」は中国をどう変えたか』草思社、2017年

書いた人 : 望月 優大

ライター・編集者。株式会社コモンセンス代表取締役。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。経済産業省、Google、スマートニュースなどを経て独立。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(地域文化研究専攻)。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。1985年生まれ。

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