連載

2017.09.22

海外

警察は突然やってくる。ウイグル自治区「見えない壁」の実態

【連載】望月優大の『旅する啓蒙』第2話

『旅する啓蒙』は旅で出会った街、人、食や文化について徒然なるままに書いていく連載企画。今回の舞台は中国北西部にある新疆ウイグル自治区の奥地、タジキスタンとの国境近くにある小さな街「タシュクルガン」。

(第1話 中国のなかのイスラーム。ウイグル自治区のカシュガルと赤いソウルフード

突然の来訪

コンコン。コンコン。遠くからホテルのドアをノックする音が聴こえて目が覚める。昼の長距離移動で疲れてうたた寝していた私は、突然のことにベッドから飛び起きた。iPhoneを見るともう夜の10時半だ。

「もちづきさーん、ドアを開けてくれませんか?」

ノックに続いてウイグル族のガイドの声がする。日本語だ。彼女は確か隣の部屋に泊まっていたはずである。「明日の朝食で集合ね」と言って夕方別れたのに、こんな時間に一体どうしたのだろう。何かあったのだろうか。


泊まっていたホテル

そーっとドアを開けてまた驚いた。ガイドのほかにたくさんの警官が立っていたからだ。しかも、間違いなく10人はいる。そして、みな静かに立って私のことをじーっと見つめているのである。

「まずいことに巻き込まれたか……?」私は心の中で即座に防御姿勢を取った。

プロフィール
望月優大
経済産業省、Googleなどを経て、現在はスマートニュースでNPO支援プログラム《ATLAS Program》のリーダーを務める。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(後期フーコーの自由論)。1985年埼玉県生まれ。
区切り線

ここは新疆ウイグル自治区の最果てにあるタシュクルガン。標高3200mの小さな街だ。ペルシャ系(イラン系)の民族で宗教的にはシーア派ムスリムである「タジク族」が多く住んでいる(ほかのイスラーム系少数民族はシーア派ではなくスンニ派)。

タシュクルガンは「世界の屋根」とも言われるパミール高原の東端に位置し、西側ではタジク族の国であるタジキスタンに接する。アフガニスタンやパキスタンもすぐそこという距離感。カラコルム山脈を横切るカラコルムハイウェイを脇に入ったところにこの街はある。

「仕事は何をしていますか?」

先ほどの場面に戻ろう。大勢いる警官のうちの1人が私に向かって何かを言っている。その言葉を、横にいるウイグル族のガイドが私のために日本語に通訳してくれた。

「パスポートを見せてください」。それから、「仕事は何をしていますか?」。2つのシンプルな質問である。そして、質問と通訳のあいだ中、ほかの警官が私の全身をパシャパシャと撮影している。


タシュクルガンから見える5000m級の山々

明らかに異様な状況ではあった。ただ、その場に流れる奇妙なほどの緊張感のなさにも、私はすぐに気づいた。警官たちは服装もバラバラで、みな集中力を欠いているように見えた。

夜遅くにわざわざ呼び出しておいて、本当は私に対する興味などありませんでしたとでもいうかのような雰囲気である。

部屋の奥にパスポートを取りに戻りながら、「仕事は何をしていますか?」という質問への答え方を私は考えていた。実は、この「仕事は何をしていますか?」という質問をされるのは、ウイグルに来てから2度目だったのである。


タシュクルガンのメインストリート

1度目はいつだったか。ほかでもない、いま目の前で通訳をしてくれているガイドからされたのである。カシュガルで彼女と落ち合い、車が出発してすぐのことだった。「もちづきさんはどんな仕事をしていますか?」

そのときの私は、その質問を「これから長い時間をともにする客との距離を縮めるための質問」だと思ったのだが、どうやらそれは全くの間違いだったようである。

私はこんな風に答えた。「インターネット系の仕事です。スマートフォンのアプリをつくる会社で働いています」

この答えに対して、彼女はこう切り返したのである。「そうなんですね。ということは、記者ではないですよね?」

私もそこでようやく気づいた。危なかった。自分の働いている会社の名前を口走らなくてほんとうに良かった。名前に「ニュース」が含まれているからだ。私自身は記者ではないが、社名を言って勘違いされても困る。「記者じゃないです」。私はそう答えた。

「そうですか。それは良かった。記者だった場合は国に言わないといけないことになっているんですよ」

「そうでしたか……」


タシュクルガンの街角でたむろするおじさんたち

このやり取りのことを思い出しながら、私はパスポートを手に取って再び警官たちのところに戻る。「インターネット関連の仕事をしています」。警官たちはやるべき仕事を終えて去っていった。緊張がほどけた。

見えない壁と監視アプリ

思えばカシュガルからタシュクルガンに来るまでの間にも、いくつもの検問を通過する必要があった。その度に車を降り、徒歩で検問所に入って警官にパスポートを見せる。警官に対してガイドが必死に説明してくれて、どうにか検問を通過することができた。

現地のガイドをつけずにタクシーだけをチャーターした旅行客たちが、警官によってもと来た道へと追い返される光景も目にした。現地ガイドの帯同なしではその検問を越えること自体が難しくなっているのだ。

検問所で写真を撮っていた中国人観光客が警官に注意され、事務所のなかに連れて行かれるという光景も目にした。いま撮った写真を消すよう要求されたのだろう。「最近取り締まりがさらに厳しくなっている」とガイドは言っていた。


検問所

念のため書いておくが、これらの検問はすべてウイグル自治区「内部」でのことであり、もちろん中国「内部」のことである。同じ国、自治区の内部でも移動が制限され、誰がどの地点を通過したかが厳しく監視されている。

そんなことを考えていると、ウイグルの状況と、私が昨年たまたま訪れたパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸)の状況とが、いやが応でもダブって見えてくる。

ヨルダン川西岸はABCの3つのゾーンに細かく区分けされていて、警察権と行政権をイスラエル政府とパレスチナ自治政府のどちらが持っているかが、各ゾーンによって違っている。自治区内にはたくさんのチェックポイントが設置されており、そこを通過する際にはイスラエル軍のチェックを受けるようになっていた。


ベツレヘムの分離壁(2016年撮影)

ウイグル自治区にはイスラエル/パレスチナ間にあるような物理的な分離「壁」こそないものの、見えない「壁」が人々の移動を制限しているという意味では近いものを感じる。どちらの地域も「自治区」と呼ばれているのが象徴的だが、ウイグル自治区内部におけるこうした管理や制限は現在進行形で強化されつつあるようだ。

例えば最近では、7月中旬から、中国政府が開発した「百姓安全」という名のアプリを通じて、個人がスマホでどんなコミュニケーションをしているかに対する監視が始まったとの報道があった。

地元警察からウイグル族たちに対して、LINEに似た「ウィーチャット」というチャットアプリを通じて、「百姓安全」をスマホにインストールするようにとの通達が一斉に送信されたようだ。路上での抜き打ち検査に引っかかると連行されるため、誰もがアプリをインストールせざるを得ない。


カシュガルの街を歩く警官たち。3人1組でパトロールしている

こうした路上での職務質問のリアリティは現地に行った者にしかわからないところがある。カシュガルでもタシュクルガンでも、街中いたるところを警官が練り歩いている。

私もカシュガルでレンタサイクルに乗って意図せず一方通行の道を逆走していたところ、すぐに警官に声をかけられて注意を受けた。警官の眼が街中に行き渡っているのだ。

ここまでの密度で警官を配備している街は、ほかの国でもあまり見たことがない。抜き打ち検査の現実的な抑止力は相当のものだろう。

タジク料理を探して

タシュクルガンにその多くが暮らすタジク族は、中国が公式に認める55の公式民族のなかでも特に人口が少ないほうの民族である。全体で5万人ほどしかおらず、1000万人ほどのウイグル族と比べてもかなり少ない。少数民族中の少数民族と言えるだろう。彼らの多くはタシュクルガン・タジク自治県に集まって暮らしている。


タジク族の女性。結婚したばかりで花嫁衣装を着ていた

タジク族が多く住むタシュクルガンまでせっかく来たのだからと、タジク族の料理が食べられる店を探してまわったのだが、なかなか見つからない。ウイグル料理や中華料理のお店ばかりが通りに並ぶ。街の中心にあるバザールをぐるっと回ってみてもダメ。色々な人に話しかけてみるものの、ガイドとはすでに別行動となっていたため言葉もほとんど通じなかったのである。

そんな状況で出会った一人の若者のことを書いておきたい。名前はAとしておく。タジク料理屋が見つからずにやむを得ず入ったウイグル料理屋でAは油を売っていた。たぶん暇だったのだろう。彼は「タジク族の料理が食べたい」と異国の言葉でワーワー言っている身勝手な日本人に興味を持ってくれたようだった。


A。日本語のガイドブックをじっくり読み込んでいた

このチャンスを活かさない手はないと、私はAに対してこちらの希望を身ぶり手ぶりで必死に伝える。しかし、しばらく続けてもダメそうだったので諦めかけていると、Aはついに「俺についてこい」というジェスチャーをし始めた。通じたのか……?

頼んでいることが相手に正しく理解されているのか自体がとても不安だったが、もはやほかに手もないのでついていくことにした。

元いた店を出ると、Aはバザールを突っ切り、街の外れに向かって早足でどんどん進んでいく。これまで歩いたことのない道である。Aは時折すれ違う人たちと短く談笑しては、またどんどん進んでいく。

彼について10分ほど歩くと、青と白のコンテナがいくつも連なった不思議な空間が現れた。一見して観光客が行くような雰囲気ではない。Aは一番奥にあった青いコンテナに私を招き入れた。

コンテナのなかは薄暗く、テーブルが2つあるだけだった。Aに導かれてそのうちの1つにおずおずと腰掛けるが、メニューなどない。キッチンはカーテンで仕切られており、その端から店主とおぼしきおばあさんの姿が見え隠れする。

いつの間にかAが注文してくれたのか。記憶が定かではないのだが、カーテンの奥から料理をする音が聞こえてくる。美味しそうな香りもしてきた。そして、しばらくすると、大きめのお椀に入ったチャイと、餃子のような食べ物が出てきた。ネパール料理の「モモ」に似ている。

このチャイがとても不思議な味で、表面に白いものが浮かんでいる。おそらくヤギのチーズだろう。かなり塩辛く、よくある甘いチャイとはだいぶ味が違う。でも、こちらのチャイもそれはそれで美味しい。

ただ、かなり塩辛いので「たくさんは飲めないなあ」と思っていたところ、おばあさんが身ぶり手ぶりで「全部飲み干しなさい」と言ってくる。これは礼儀と一気に飲み干す。ふーっと一息ついていると、おばあさんが再びやってきた。今度は大きなやかんを持って立っているではないか。まさかの継ぎ足し攻撃である。

正直、このタイミングでかなり心が折れかけたが、ここまで連れてきてくれたAの顔に泥を塗るわけにもいかない。二杯目も少しずつ飲み干していった。しかししょっぱい。餃子や硬いパンと一緒に飲みこむことで、なんとかギリギリ塩辛さを緩和する。そうしてようやくタジク風のチャイを完食することができた。何事もどうにかなるものである。

少数民族の若者たち

Aと別れた次の日、ガイドがタジク族の現状について少しだけ話をしてくれた。彼女曰く、タジク族の多くは働いておらず、政府から生活保護のようなものを受け取って生活しているそうだ。

その言葉自体がどの程度真実なのか私にはわからなかったが、Aも平日の昼間に暇そうにしていたことを思い出す。

街は寂れていて、仕事が多くあるようにも見えなかった。一般の人々とすれ違うのと同じくらい警官とすれ違った。警官にはタジク族らしき者もおり、治安維持だけでなく雇用の受け皿としての福祉的な役割も担っているのかもしれない。


寂れ気味のバザール

目には見えない壁のなかで、規模の異なる様々な少数民族が、私には把握できない細かい区分に基づいて土地に縛り付けられているのだろう。生活を保障するための福祉や公的な雇用は、こうした状況に対するある種の代償として作用しているのではないか。

日本の十倍以上の人口を抱える中国において、民族と歴史のもつれ合いは一刀両断に語り切ってしまえるほど単純なものではない。ただ、そうだとしても、弱い立場の者、小さくてかき消されそうな存在のほうへと、自分の思いが寄っていくということはある。


タジク族の少年

こんなことがあった。短いタシュクルガンでの滞在中に、偶然タジク族の人々にとっての特別な瞬間に出くわしたのだ。

街の外れにある石頭城(せきとうじょう)という遺跡を訪れたときのこと。たまたまそれがとあるテレビ番組の撮影の日で、タジク族の子どもたちが民族舞踊を歌い踊り、その模様をテレビクルーが撮影するというタイミングだったのである。聞くと、中国ではかなり有名な番組なのだと言う。

子どもたちの親が舞台の周りで熱心に見学している。撮影クルーは見たところ漢族の人々のようだ。カメラに映るタジク族の子どもたちは色鮮やかな衣装に身を包み、伝統的な音楽に合わせて様々な曲を歌う。

一人の女の子は、本番の演奏が始まる前に舞台袖で母親から化粧のチェックを受けていた。彼女はほかの子たちがスタンバイする舞台へと主役の趣で堂々と上がっていき、舞台の中心で見事な踊りを披露する。しかし、「もっと上手にできるはずだ」といった風情で、横に立つ先生たちから彼女に対して細かい指導が入る。

わずか5万人しかいないとされる小さな民族の伝統。それが、大人から子どもへと紡がれていく瞬間を目にする。

山のすぐ向こう側には「タジキスタン」という国があるなかで、中国のなかで「タジク族」として生きていく人たちがいる。

そして、彼らの存在や「民族の伝統」を映像に撮影し、この場所を一生訪れないだろう数多くの中国人たちに向けて放送する人々がいる。

私はといえば、こうしてわざわざこの街までやってきて、偶然出会ったその様子をぼんやりと眺めている一人の外国人だ。

「仕事は何をしていますか?」

子どもたちの美しい踊りを眺めていたら、ふとあのときの緊張がよみがえってきた。

タジキスタンと国境を接し、アフガニスタン、パキスタンからも目と鼻の先にある「タシュクルガン」という街に行ってきました。少数民族のタジク族が主に暮らすエリアで、街のシンボルである石頭城という遺跡に行くと、たまたまタジク族の子どもたちがそこで歌っている姿を見ることができました。背景が素晴らしすぎるのですが、タシュクルガンは「世界の屋根」とも言われるパミール高原の最東部に位置していて、背景の山々のすぐ裏側にタジキスタンがあります。そして、パミール高原の右(=北)にヒンドゥークシュ山脈、左(=南)にカラコルム山脈が連なっています。タジク族は中国のイスラム系少数民族の中で唯一のペルシャ系で、宗教がシーア派であるという違い以外にも容姿や言葉にもそれとわかる差があります。人口はわずか5万人と本当に少ない(ウイグル族は1000万人以上)のですが、文化継承の貴重な現場に立ち合うことができてとても良かったです。いろいろと考えさせられました。ちなみに子どもたちはスーパーかわいかったです。

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第1話:中国のなかのイスラーム。ウイグル自治区のカシュガルと赤いソウルフード

参考文献

・中国ムスリム研究会(編)『中国のムスリムを知るための60章』明石書店、2012年
・ベンジャミン・フィアナウ「中国、ウイグル族にスパイウエアのインストールを強制」『ニューズウィーク日本版』2017年7月26日
・藤野彰・曽根康雄(編著)『現代中国を知るための44章【第5版】』明石書店、2016年

書いた人 : 望月 優大

経済産業省、Googleなどを経て、現在はスマートニュースでNPO支援プログラム《ATLAS Program》のリーダーを務める。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(後期フーコーの自由論)。1985年埼玉県生まれ。

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