「八丁味噌」は誰のもの? 老舗味噌メーカーを翻弄する政策のひずみ

農水省のGI制度に揺れる「地域ブランド」の本質

「神戸ビーフ」「夕張メロン」「越前がに」……

「地名+農林水産物・食品」の組み合わせで表記されるブランド食材。

実は、これら食材の名称は知的財産として「地理的表示(GI)保護制度(以下、GI制度)」によって守られています。

ざっくり言うとGI制度とは、生産者、ブランド、そして消費者を守るための施策

農林水産省(以下、農水省)によって、ブランド食材が、地域の特性や土地に根付く伝統的な生産方法に紐付いていると判断された場合のみ適用。GI認定を受けた品のみが、ブランド名を付けて市場へ流通することが可能となります。生産者の利益保護を通じ、農林水産業全体の発展などを実現することが狙いです。

※GI制度に関する詳細は農水省Webサイト

ところ変わって、愛知県岡崎市八帖(はっちょう)町。

蔵造りの街並みが美しいこの街には、「八丁味噌」という伝統食品があります。そして、400年前から「八丁味噌」をつくり続けてきたのが、まるや八丁味噌(以下、まるや)とカクキュー(正式名称:合資会社 八丁味噌)の2社。


まるやの製造工場外観


カクキューの社屋。NHKの朝の連続テレビ小説『純情きらり』のロケで味噌蔵が使用された

しかし今、GI制度によってこの2社が「商品に『八丁味噌』という名称を使用できない」という問題に直面しています。さらに驚くべきは「八丁味噌」という名称を使用できるのは、愛知県内の別の味噌メーカーや醤油メーカーによって形成された別団体。

生産者やブランドを守るための施策のはずが、老舗メーカー2社から「八丁味噌」の名を奪おうとしているのです。

新聞やテレビなどでも取り上げられ、全国的にも話題になったこの問題。

八丁みそはどこのみそ? ブランド論争の行方(NHK NEWS WEB)
https://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2018_0306.html

まるやの代表・浅井信太郎さん、カクキューの企画室長兼品質管理部長・野村健治さん、そして発酵・微生物学の専門家である小倉ヒラクさんに、今「八丁味噌」の周りで起こっている問題の詳細、そしてGI制度の問題点について聞いてきました。


左から野村さん、小倉さん、浅井さん

なぜ? 八丁味噌メーカー2社の申請は受理されず、県内別団体が「八丁味噌」を登録

田中

まず、今起こっているGI制度問題の詳細について教えてください。

浅井

もともとGI制度はヨーロッパで長く運用されていました。ワインやチーズといった食品の地域や生産者、ブランドを守るための施策です。日本で話題になったのが2016年ぐらい。農林水産省の職員の方から「GI制度というものができたので、ぜひ『八丁味噌』も加入してほしい」という連絡をいただきました。私たち2社で立ち上げた「八丁味噌共同組合」でGIの申請をしたのですが、加入に向けて話を聞いたり、勉強会に参加したりするにつれて徐々に違和感を覚えてきました。たとえば、私たちは「生産地:岡崎市八帖町」と申請していたのですが、農水省からは「『生産地』の項目を『愛知県全域』に拡大するように」と要請がきたのです。

ヒラク

八丁味噌について説明しますね。もともと味噌とは、大豆に麹をつけて発酵させた固形調味料のこと。麹の種類や色、味によって分類されます。八丁味噌は、大豆のみを主原料とした豆味噌の一種。徳川家康が生誕した岡崎城から西に8丁(約870m)の八帖町でつくり始めたからこそ「八丁味噌」という名称なんです。

浅井

「生産地を愛知県全域に拡大するように」という要請を受け、私たちは農水省の職員を蔵に案内し、「八帖町でなければいけない理由」を力説しました。しかし、彼らの答えが変わることはなかった。「生産地を拡大しなければ登録は認めない」の一点張り。「八丁味噌」の名を傷つけないために、私たちは申請を取り下げるという苦渋の決断をしました。

野村

その直後、愛知県内の味噌メーカーや醤油メーカーによって形成される「愛知県味噌溜醤油工業協同組合(以下、県組合)」という団体によって「八丁味噌」の名称が登録されていたんです。もともと先に申請をしたのは私たちで、県組合の申請は意見書扱いだった。にも関わらず、彼らの申請が通ることになってしまいました。2017年12月の話です。


組合ごとの申請内容の違い。まるやとカクキューが加入している「八丁味噌協同組合」は「愛知県味噌溜醤油工業組合」よりも基準が厳しい

田中

なんと……!

野村

もちろん私たちは反対しました。岡崎市や市の商工会議所も意見書を出しているんです。それに、そもそも農水省のGI登録ガイドラインには「登録を受けた生産者団体の生産行程管理を適切に受けたもの」という記載があるので。すると、農水省から「すぐに説明したい」という連絡がありまして。

浅井

実際に話を聞きに行ったところ、第一声は「みなさまにとってはご不幸なことでした」と。そして「海外から『八丁味噌』の名称を守るためにやむを得ない国策だった」というお話で。

田中

国策、ですか……!

ヒラク

この登録によって2社はEUへの輸出はできなくなる可能性はあります。別の言い方をすると2社以外の豆味噌はEUへ大量に輸出できるけど、長い年月つくってきた2社の「八丁味噌」は輸出できないという、言葉を選ばずにいうと超ダサい事態が起こっているわけです。

「味は関係ない」と断言する農水省

田中

素朴な疑問なんですが、2社の「八丁味噌」と愛知県味噌溜醤油工業協同組合の味噌で味は変わるんですよね?

浅井

もちろん違います。しかし、農水省側の説明としては「農水省による専門委員会での先生方の意見は、ほぼ同じで大差がなかった」と。農水省も調査結果に従うという判断でした。

ヒラク

伝統的な製法では、熟成に2年間かけますからね。一夏、つまり最速3ヶ月で仕上げるものとは全然違います。科学的にはほぼ同じ結果だとしても、人間の味覚ってもっと鋭いんですよ。成分表には表れない違いを見極めることだってできる。

ヒラク

科学的にほぼ同じという結果は、実際正しいんですよ。でも、それは「石原さとみと綾瀬はるかはほぼ同じ」と言っているのと近くて。確かに日本人で、女優で、美人で、世代も同じくらいだとしても、ファンからしたら全然違うわけです。実際、まるやとカクキューの2社の八丁味噌ですら違いますからね。たとえ同じ愛知県内で同じ方法でつくっているからといっても、熟成期間や水の種類、蔵の温度・湿度、桶の材質や桶についている菌の種類などで味も変わってくる。それが味噌というものです。

野村

逆に、こだわっている豆味噌の蔵元へ行くと、2〜3年熟成させるところもあるんですよ。彼らは「うちでつくっているのは『八丁味噌』じゃない」と言う。でも、彼らに対して愛知県味噌溜醤油工業協同組合の人たちは「あなた達も『八丁味噌』として売り出しなさい」と……おかしな話ですよ。

浅井

以前、テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」の取材が入ったとき、アナウンサーの方たちもそれぞれに試食をして「明らかに違う」と発言しているんですよ。でも「今回、味は関係ありませんから」と続けている。食品の問題なのに、ですよ。

野村

彼らの言い分としては「すべては『八丁味噌』を守るため」なんです。そのためにすべてを乗り越えて登録した、と。私たちにも「一緒に『八丁味噌』を守ろう」と登録を促してきました。でも、基準はどうなるかって話ですよね。こっちで勝手に高い基準を設定してやればいいとも言われましたが、県組合の基準を受け入れてしまったら、最低ラインにカテゴライズされることを認めざるを得ない。

浅井

農水省は「まるやとカクキューの真似をする人はいませんから問題ありません」と言ってくるんですが、こういう会話自体がみじめだし、そもそもおかしいじゃないですか。

田中

今回の件を受けて、現場で働いている人たちのモチベーションが下がってしまうようなことはないんですか?

浅井

私たちの商品価値が下がったわけではないんでね。憎んだり恨んだりするのではなく、今まで通りの想いでやってほしいということは伝えています。もちろん危機感を抱いている部分はあるかもしれないけど、動揺はしていません。八丁味噌は職人が手作業で仕込んでいるので、悲しみの気持ちや焦りの気持ち、怒りの気持ちで味噌をつくると体温が伝わってしまって味がにごるんですよ。

地域ブランドの「負の歴史」を繰り返しかねない

田中

この決定によってどんな影響が予想されるのでしょうか?

ヒラク

そもそもの話なのですが、地域ブランドとはクオリティの高いものとローカリティーの掛け合わせでできるものです。他の土地では替えが効かないところに付加価値が生まれて、競争優位性も出てくる。EUのGI制度はまさにそういった活用のされ方をしているわけです。ところが今回は単に「たくさん輸出したいから」という理由で本来上げるべきハードルを下げてしまっている。マーケットでの競争優位性を担保するというブランド戦略の正攻法と真逆のことをやってしまっているわけです。「質より量で勝負しよう」みたいな。でも、それって今まで地域ブランドをおとしめてきた考え方そのものなんですよね。また同じことを繰り返すんじゃないかというところを危惧しています。

田中

ちなみにこれまでにはどんなことが?

ヒラク

同じ大豆製品だと醤油業界が近いかもしれません。産地の問題とは別なんですが、醤油には特性やうまみ成分、色の濃淡などを数値化したJAS規格というものがあります。昔はなかったんですが、大手メーカーと行政が主導になって、醤油の細かいカテゴリや等級を決めるためにつくったものです。戦後の粗悪品が出回っていた時代には、製造を安定化するために規格にも意味がありましたが、その反面JAS規格によって地方の小さい醤油蔵は個性を出しづらくなりました。大手には真似できない熟練の技法でつくったものであったとしても、規格によるカテゴリ分けが優先されてローカルな個性を主張しにくくなったんですね。そこで地方の中小メーカーが組合をつくって、大手メーカーのように大量生産・大量販売にシフトしても消耗していく一方で……結果として組合自体もなくなってしまう地域も出てきました。そうやって醤油業界が疲弊してきている現状があるわけです。ルールづくりによって地域の産業の未来が決まってしまう。今回のケースが醤油の二の轍を踏もうとしている気がしてならないですね。

田中

お話を聞いていると「誰が得するんだろう?」という気持ちになります。実際、海外に「八丁味噌」のブランドが奪われそうになったみたいなことはあったんですか?

ヒラク

僕は国内はもちろん、ヨーロッパで自然食品店にもよく行きますが、まるやとカクキュー以外の八丁味噌を見たことはないですね。正直なところ「ホントにあるのかな?」という気持ちです。

浅井

農水省から国内にはあると言われているんですよね。ただ「ほとんどが業務用なので市場ではわからないんです」と。これも何とも不思議な話です。

野村

私は、2017年末ぐらいに一度だけコンビニのおでんにつける味噌ダレに「八丁味噌100%使用」と書いているものを見つけたことがありました。つまり、認定が出てすぐのタイミングということですね。

田中

やっぱりよくわからないですね……。

ヒラク

発酵食品って、ローカリティーのシンボルだと思うんですよね。それを守ってきた家族経営の蔵だったり、婦人会だったり……といった人たちが何百年もかけて継承してきたものの結晶が日本の発酵文化の礎をつくっていることを僕は日々実感していて。行政の取り組みでも、規格化でも、過去の資産にタダ乗りするようなことはしてはいけない。その土地で小さいけどコツコツ続けてきた人たちに合わせて認証をつくるべきだし、食べる人たちにもわかるようにしないと発酵文化のアイデンティティーそのものが崩壊してしまう。だから、個人的な意見としては今回の問題は激しく「NO」です。

危機に直面して知った「地域ブランド」の本当の意味

田中

厳しい局面に立たされている印象を受けますが、これから「希望」があるとしたらどのようなことでしょう?

浅井

希望……そうですね。私たちには「八丁味噌」を伝える義務がありますので、今まで通りやっていくだけですね。国が何か決めたとしても私たちのお客さまには何も関係ない話です。だから私たちはお客さまのために伝統的な美味しい「八丁味噌」をつくり続ける。これだけです。もしかしたらEUへの輸出はできなくなるかもしれないけど、それで命が取られるわけでもないし、明日会社が倒産するわけでもない。だから、目の前のお客さまに満足いただける「八丁味噌」をつくり続けていきたいと思います。私たちのやり方で。

野村

今回声を上げたことで、一般消費者をはじめ多くの方達とコミュニケーションをとる機会は増えました。「八丁味噌」という名称を取り戻すための署名運動を岡崎にある4つの大学の学長さんが始めてくださったんですが、すでに4万近くの賛同の声をいただいて。私たちがつくってきた「八丁味噌」が、多くの方に愛されているということを改めて実感しています。なかには、これまで「八丁味噌」を使ってくれていた料理人の方たちもいて、八丁味噌についてやGI制度について説明する場も設けてもらうようになりました。これまで直接説明する機会ってなかなかなかったんですよね。こうやって膝を突き合わせてやり取りすることで、こちらの想いも伝えられるし「がんばってくださいね」といった声もかけてもらえるようになった。「うちの店でも署名集めますよ」と言ってくれた料理人の方もいました。だから、私たちは今まで通りやっていく。それしかできませんからね。

ヒラク

こういう危機に瀕したときに支えてくれる人の数によって、どれだけ2社が愛されていたかがわかりますよね。少なくとも署名した4万人近い人たちは、岡崎にとって八丁味噌がどういうものなのかが胸に刻まれたわけです。
今回の問題をきっかけに「八丁味噌」、ひいては「発酵食品」や「和食」が自分たちの暮らしにおいてどういうものなのかを考えることができたとしたら、それこそが僕にとっての「希望」ですね。

昨今、アイキャッチ的に出回る「地域ブランド」という言葉。しかし、それはどこにでもあるものでも、一朝一夕につくられるものでもない。

地域ブランドは、2社の「八丁味噌」のように長い時間をかけてつくられていく。地域の暮らしに根付いて、それを取り巻く人たちのコミュニティがあって……文化そのものを指す言葉なのではないだろうか。「今まで通りやっていく」と力強く語ってくれた浅井さんと野村さん。今回の問題を経て、2社が育んできた文化がより強いものになっていくことを願いたい。

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書いた人 : 田中 嘉人

1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライターとしてキャリアをスタートする。その後、Webメディア編集チームへ異動。CAREER HACKをはじめとするWebメディアの編集・執筆に関わる。2017年5月1日、ライター/編集者として独立。

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