「女性はすでに活躍してる」60年続く婦人会がネット販売を始めたわけ

先代から受け継がれる、味へのこだわりと挑戦のDNA

2016年4月に施行された『女性活躍推進法』。

「女性の社会進出」は、ここ最近のホットなワードのひとつ。政策を受け、企業もあの手この手で女性活躍を後押ししようとしています。

しかし、実現に向けてはまだまだ試行錯誤している段階。新たなキャリアパスを用意したり、男性の育児休業が増えたり…とさまざまな取り組みを通じて、女性の活躍を後押ししようとしています。

こういった世の中の動きを見て「今さら何を言っているんだろうという気持ちになります」と笑うのは、下村婦人会のみなさん。

熊本県の南部にある球磨郡湯前町(くまぐんゆのまえまち)で、漬物や味噌といった加工食品の製造・販売を手がける平均年齢59歳の女性たちです。

下村婦人会が発足したのは、1950年4月。

時は戦後の混乱期。湯前町で暮らす山北幸(やまきたさち)さんが、経済的に苦しむ地元の女性たちのために立ち上がったことがきっかけでした。

当時、山北さんは病院勤務。「町民たちが経済的に貧しい暮らしを強いられて、子どもの体調が悪くてもお金がなくて診察に来られない」という状況を目にし続け、「この町をどうにかしなければいけない」という想いに奮い立たちました。


山北幸さん(『山北幸物語 繋ぐ』より)

彼女が声をかけたのは、経済的に悩みを抱える地元の女性たち。工場や畑で働く男性たちとは別の方法で生活費を稼いでいくために、山北さんを中心に湯前町の女性たちが手を組むことになったのです。それでは下村婦人会の歴史を振り返ってみましょう。

下村婦人会の転機は1971年。

『暮しの手帖』編集長の花森安治さんが、下村婦人会の活動に注目しました。翌年2月の早春号に巻頭特集が組まれたことから、下村婦人会には注文が殺到し、さまざまな展示会やメディアからも引っ張りだこになります。

そして、農林水産大臣賞や国土庁長官賞なども受賞。さらには、一般財団法人 食品産業センターから、地域食品ブランドの表示基準「本場の本物」に認定されました。

山北幸さん、星原陽子さんの後を受け、2016年に池田タメ子さんが三代目の代表理事に就任。同年にはネット販売を始めます。


ショッピングアプリ『BASE』を利用して運営している下村婦人会の通信販売サイト。地元産の野菜を味噌に漬け込んだ看板商品「市房漬」をはじめ、柚子胡椒、野菜の味噌漬けを刻み、ふりかけ風にした「きりしぐれ」など、無添加・手作りの商品が並ぶ。

もともと商品の売れ行きは好調。ブランドもある。にも関わらず、なぜ、下村婦人会は新たにネット販売というチャネルを開拓したのでしょうか?

今回、代表理事の池田さん、ネットショップ担当の右田さん、そして男性メンバーとして下村婦人会を支える理事の木野さんにお話をうかがったところ、伝統を守りながら変革を続けるヒントが見えてきました。

先代から受け継がれる挑戦のDNA

-下村婦人会がネット通販を始めた意図から教えてください。

木野さん
そもそも私たちの商品は全部手づくりなので、原価がかかってしまい、なかなか利益が出ないんです。高いものだと原価率は45%くらい。卸を通すとさらに利幅が薄くなりますからね。お客さんと直接取引できるように、ネットショップをつくりました。

右田さん
ネットショップは、私がほとんど担当しています。婦人会のなかではインターネットの知識があるほうなので(笑)。でも、もしわからないことがあったら、すぐにパソコンに詳しい町内の人を呼んで、確認してもらうようにしていますよ。


先代の写真の前で笑う池田さん

木野さん
ネット通販を始めて1年くらいで、まだまだ販売数が少ないので大丈夫でした。ただ、今後もっと売れるようになったら、材料の調達や人手が間に合うのかという不安はあります。そうなったらそうなったで柔軟に対応していくつもりです。

池田さん
新しくチャレンジしたり、時代にマッチさせていったりって、先代の幸さんが得意としていたことだったんですよね。

以前はデパートやショッピングモールみたいなところへの出張販売がメインだったんですが、そこで試食販売を取り入れたのは幸さんです。

今だったら試食販売なんて当たり前かもしれませんが、当時は「買ってくれるかどうかわからないのに食べてもらう」なんて誰も思いつかなかったんです。でも、幸さんは商品に自信があったからチャレンジできた。

今はどこもネットショップをやっているじゃないですか。だから、私たちもやってみる。そういう姿勢は下村婦人会のDNAなのかもしれませんね。

下村婦人会にとって男性とは?

-山北幸さんってどんな方だったんですか?

池田さん
とにかく勉強家です。いつでも「どうしたら喜んでもらえる商品がつくれるか」と考えていて。2013年に99歳でお亡くなりになる直前まで、病院の枕元にペンとノートを置いてアイデアを考えてメモするような方でした。だから、新しいチャレンジが得意だったんでしょうね。

-男性メンバーの木野さんはいかがでしょう?

木野さん
僕は今69歳(2017年現在)なんですけど、もともと湯前町出身なんです。漬物づくり以外の面でも、幸さんは子どもたちのために小さな遊園地や図書館をつくってくれて、この町に進歩をもたらしてくれました。僕なんかは怒られもしたけど(笑)。私の母は今年94歳ですけど、今でも「幸さんと出会ってなかったらただの田舎のババアだった」と話しますね。

やっぱり、何もない頃にこの湯前町でやり始めたということはすごいですよね。そして結果も出る。カリスマ性というか、先見の明というか。だから、男女問わずみんなが信頼してついて行くんですよね。馬力もあるし。

-すごいですね…!

木野さん
そりゃあ下村婦人会の発足当初は、家の女性が毎日のように出かけていくのがイヤだった男性はいたと思います。でも、みんな幸さんには世話になっているし、女性たちのがんばりは理解できた。生活の支えにもなっていたので。だから、自然と女性たちをサポートするようになっていったんです。

湯前町にとって、男性は縁の下の力持ち的な存在なんですよね。だから「もっと男を立てろ」みたいな、変なプライドはないんですよ。

-男性が女性を支えることは、湯前町では当たり前だったんですね。

木野さん
僕が子どもの頃は、幸さんをサポートする青年団の男性たちに面倒を見てもらっていましたよ。「子どもたちは僕らが面倒見るので、奥さんたちは仕事に専念してください」って。

右田さん
女ばかりでやっていると、男性のありがたみがわかるんですよね。体力的に女性では難しい仕事もあるので。「婦人会」ですけど、いろんな人がいていいと思いますよ。


ネットショップ担当の右田さん

池田さん
それに、これからは働き手も少なくなってくるので、女性だけの考えに凝り固まることなく男性の意見も柔軟に取り入れていきたいと思っています。

湯前町というプライド

-地理的には熊本の市街地からはものすごく離れているし、360度を自然に囲まれた土地で…でも、お話を聞いていると「どうせ田舎だから」みたいな劣等感は全く感じないんですよね。ものすごく革新的というか。

池田さん
そういう妬みやひがみみたいなものは全くないですね。

私たちにとっては「湯前町でやっている」ということ自体が誇りなんですよね。下村婦人会の名前を汚したくないし、次の世代にも伝承していきたいと思っています。

-これから下村婦人会はどこを目指すんですか?

池田さん
昔ながらの味を引き継ぎながら、時代のニーズに合わせていきたいと思っています。ネットショップもそのための一手段ですね。

最近は漬物離れと言われているので、封を開けたら包丁やまな板を使わなくてもすぐに食べられるようにしたりと、いろいろ試行錯誤しています。ピクルスの野菜をカットしてパッキングしたり、味噌の減塩をしたりと、他のメーカーのいいところもどんどん取り入れていますね。

あとは若手、特に高卒の採用ができるように準備も進めたいと思っています。今すぐには難しいけど、後継者を育てていくことも下村婦人会を続けていくためには必要ですからね。

-伝統を守りながらも、常識にとらわれず変革を続けていく。ものすごくエネルギーをいただけるお話をありがとうございました!

区切り線

取材を終え、下村婦人会の工房(2017年の冬には工房を地域の人たちが集まれる空間へとリノベーション予定)で商品を試食させてもらいました。

漬物は食べやすいようにすでにカットされていて、塩分も控えめで食べやすい。「ご飯によく合いそうですね」と聞くと、「私らはみんな米焼酎ですよ」と笑う池田さん。

下村婦人会というプライド、そして美味しい漬物と少しばかりの米焼酎(?)が彼女たちのパワーの源になっているようでした。

湯前町の女性たちの優しさとエネルギーが隠し味。そんな手づくりの漬物は、一口食べるとこちらまで元気になりそうです。これからも下村婦人会は、日本中に元気をおすそ分けしながら挑戦を続けていくでしょう。70年、80年と、まだ見ぬ未来に向かって。

店データ
  • 下村婦人会 通信販売サイト
  • 「意志あるところ、道は拓ける」 半世紀前の小さな一歩は、今も、歩みを進めています。 私たちはいつも、食卓へ上る私たちの商品、それを食べてくださるお客様とそのご家族の姿を想い描きながら、心を込めて手づくりしています。 こだわりは、手づくりと無添加それこそが、下村婦人会の味です・・・

書いた人 : 田中 嘉人

1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライターとしてキャリアをスタートする。その後、Webメディア編集チームへ異動。CAREER HACKをはじめとするWebメディアの編集・執筆に関わる。2017年5月1日、ライター/編集者として独立。

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