「戦後最大」台風21号が小さなキャンプ場にもたらした絶望と希望

地元青年の奮闘が、南房総に熱を宿した

2017年10月23日深夜、「戦後最大級」とも言われた台風21号が関東地方を襲った。中心付近の気圧は960ヘクトパスカル。首都圏に近づいた台風としてはこれまで例がないくらい強い勢力を保ったまま上陸し、さまざまな形で爪痕を残した。

翌日以降のメディアには「被害総額数十億円」のショッキングな文字が躍ったが、そうした大きな報道だけでは僕らの想像が行き届かないところで、多くの人が傷ついている。例えば南房総市のとある高齢の漁師は、今回の台風で漁船などの商売道具一式を失い、そのまま引退することを決めたという。

命は取り留めたとしても、ふとしたことで人の人生は大きく動く。自然の猛威に比して、人間の存在はあまりに小さい。

手作りのキャンプ場が一夜にして壊滅

白浜フラワーパークは、房総半島最南端の太平洋が一望できる海沿いにある、創業60年の老舗植物園。長く花摘みを中心にした観光事業を行ってきたが、近年は業績が下降の一途をたどっていた。

そこで3年前に新たに立ち上げたのがキャンプ場事業だ。

わずか25区画と小規模だが評判がよく、キャンプ場予約サイトでは千葉エリアで常に人気トップ10に入る。夏だけで1万人以上の家族が訪れ、キャンプやBBQを楽しむ子供たちの声で溢れるという。

このキャンプ場事業は、2011年に南房総にUターン帰郷し、野外音楽イベント「あわのネ」を主催するなどしてきた米原草太(よねはら・そうた)さんが立ち上げ、現在に至るまで管理人として切り盛りしている。

もともとキャンプ場経営についてはまったく経験のない素人。葦の生い茂る土地を草刈機と重機を使って自分で開墾するところから始め、試行錯誤を重ねながら少しずつ事業を成長させてきた。

今春には海沿いに新たに10区画を作り、アースバック工法で自作したトイレを新設するなど、さらに大きく勝負の一歩踏み出した、その矢先だった。

手作りの小さなキャンプ場は、突如やってきた台風21号により壊滅的な打撃を受けた。

津波が地形そのものを変えてしまった

米原さんは台風一過の朝もいつものように出勤した。最初は「雨はそれほどでもなかったけど、風が強かったから建物の屋根が飛ばされているかもしれない」くらいに軽く考えていたという。しかし車を降りて敷地内を奥へと進むにつれ、事態はより深刻だと気付かされた。

「ガーデンプールは土砂の山で埋まっていました。逆に海岸の砂はごっそり持っていかれて、海水浴場のようにすっきりとして、地形自体が別のものになっていた。大人数人でやっと持ち上げられる重さの仮設トイレや桐の机は、数十メートル先で横倒しで見つかりました」

雨でも風でもない。波の仕業だった。

「3・11の時には僕はまだ東京にいたのですが、聞いたところによれば、波が引いたのでみんな身構えたけれども、返しがくることはなかったそうです。90年間この地域に住んでいるというおじいさんも、こんなことは初めてだと言っていました」

海岸から敷地の四分の一くらい内陸にまで積もった海砂を見れば、それだけのことが現実に起こったと考えざるを得なかった。

同キャンプ場で一番人気だった海沿いの貸切区画は、ブロック塀やコンクリートの地面が剥がされ、壊され、使い物にならなくなっていた。ここはキャンプ場事業を始める際に最初に開墾した区画だったから、米原さん自身にとっても特別な場所だった。



見通しのいい海岸のように見えるが、台風前は深く根を生やした葦が一面を覆っていたという。キャンプサイトのど真ん中にはとても動かせそうにない巨大な岩が

今春にボランティアとともに整地し、丁寧に芝を植えた新区画も、海水にやられて芝が枯れ、大半が海の砂に埋もれてしまっていた。

「新区画の拡張は、一大決心して会社(フラワーパークの運営元である隣接するホテル)に掛け合い、大きな予算をとって取り組んだものでした。当然、ひと夏で回収できる金額ではありません。それがすべて水泡に帰したということは、キャンプ場事業自体がなくなる可能性も考えなくてはなりませんでした

これが自然の力かと痛感するとともに、これから先のことを考えると目の前が真っ暗になり、打ち上がったゴミを片付けながらトボトボと歩くしかなかったと米原さんは振り返る。

背中を押したのは常連客の声だった

それでも米原さんが復興に向け気持ちを切り替えることができたのは、常連客からの声に後押しされたからだったという。

「年末までいっぱいに予約が入っていたので、とりあえず現状を報告しなければと思ってスマートフォンで写真に撮って、その日のうちにこの惨状をブログに載せたんです。そうしたら自分でも驚くくらいにシェアされて、友達や常連さんがたくさんの応援コメントをくれました。『諦めたらダメだ。やんなきゃダメだろう』って。これは落ち込んでばかりはいられない。どうにかして復活させないとと思いました」

その具体的な手法の一つとして何人かに勧められたのが、クラウドファンディングによる支援金の募集だった。ちょうど、フラワーパーク内でナイトマーケットを開催するという企画で「CAMPFIRE」を利用する準備を進めていたこともあり、動きは早かった。被災して1週間後にはプロジェクトを立ち上げることができた。

「でも、友人の中には一営利企業であるキャンプ場の復活だけでお金が集まるはずがないと言う人もいました。僕自身も、キャンプ好きかつフラワーパークを知っている人でなければ1万円だって払おうとは思わないはずだと、最初は半信半疑でいたんです」

目標金額を達成するしないに関わらず集まった金額を得られる「All-in」方式を選んだのも、「10万円でも20万円でも足しになればいい」と、結果にはそれほど期待していなかったからだった。ところが蓋を開けてみると、このプロジェクトは開始から1カ月足らずで目標額の200万円近くを集めた。

実はこの他にも、米原さんには内緒でフレンドファンディング「polca」で支援金を募ってくれた友人や、実際にキャンプ場を訪れ、何も言わずに支援してくれた常連客もいた。



米原さんには黙ってフレンドファンディング「polca」で支援金を募る友人(上)や、米原さんが長年、駐車場スタッフを務めてきた静岡県の音楽フェス「頂ロックフェス」もオリジナルの画像を作ってフェイスブックページで支援

終了まで1カ月以上を残し、実質的には目標金額達成と言ってよかった(その後、プロジェクト自体も達成)。

キャンプ場の素人だからできた常識外の接客

「3年間、ファンを作ってきてよかったと思いました。いろいろな人と交流しながらキャンプ場をやってきたことの成果を意外な形で見ることができた。そのことが何より嬉しかったですね」

今回の支援の実態は、不特定多数の人がプロジェクトに共感して支援の輪が広がったというよりは、どうやらもともと白浜フラワーパークキャンプ場を利用したことのある人たちが、米原さん自身の想像を超えて手厚く支援してくれたということのようだった。

もちろん、太平洋に面した開放感のあるこの場所自体の魅力も大きいのだろう。だが、この小さなキャンプ場がこれほどのファンを集めている理由は、どうやらそれだけではないようだ。キャンプ場予約サイトの口コミ欄を見ると、管理人である米原さんに言及している書き込みが数多くあることに気付く。

米原さんが開業以来欠かさずに続けていることが一つあるという。それは1日2回は必ずキャンプ場をくまなく回り、泊まっているキャンプ客の一組一組に声をかけることだ。過去に居酒屋で働いていた時期があり、もともと接客が好きという米原さんにとって、それはごく自然な行動なのだという。


取材当日、休業中のはずのキャンプ場に一組の宿泊客の姿が。「どうしてもこの惨状を自分の目で見たい」と言って駆けつけた常連客だという

「キャンプ場ってフルオープンじゃないですか。夫婦ゲンカしているのも丸見えなんですよね。だからその接客たるや、ホテルの何百倍も人間味があって。むしろ居酒屋の接客に近い面白さがあるんですよ。だから僕がそこを回って歩くというのも、お客さんのところに乾杯しに行ってるようなもんなんです(笑)」

そして、こうした客からの声に真摯に耳を傾け、地道にサービスを改善してきたのが、この3年の歩みだったと米原さんは言う。

取材当日、台風以降休業中のはずのキャンプ場に一組の宿泊客がいた。「とても泊められる状態じゃないので」と予約客に断りと謝罪の電話を入れた際、「それでもいいから泊まりたい。自分の目で見たい」と言ってくれた常連の客だという。

「そこまで言ってくれるなら、ここでよければ使ってくださいって感じで。もちろんこんな環境ですから、常連さんじゃなかったらとても泊められないんですけどね」

そう言って人懐っこく笑う米原さん。こうした人間味のある接客が白浜フラワーパークの、そして米原さんのファンを作っていったことは容易に想像がつく。

もちろん、25区画と比較的小さなキャンプ場だからこそそれができるというのも事実だろう。区画を増やすことで利益を追求し、場所を貸し出したらそれで終わりというキャンプ場が多い中にあって、業界の“常識”を覆す米原さんのこのやり方は、「キャンプ場の素人」だからできたとも言えるのかもしれない。

地に足をつけて地元に活気を

ところで、米原さんを語る上では「あわのネ」というイベントに触れないわけにはいかないだろう。「あわのネ」は、県外で環境系のイベントなどを主催していた米原さんが、「元気がないように見える地元をどうにかして盛り上げたい」という思いから、中学の友人らとともに2010年に立ち上げた野外音楽イベントだ。

キャンプ場同様、ステージ設営から運営までのすべてが手作り。でありながら質の高い音楽と心地よい空間を実現していると評判を呼び、この8年間休むことなく開催を続けてきた。現在はやや規模を縮小してここ白浜フラワーパークで開催しているが、館山市にある無人島「沖ノ島」を舞台に開いた2012年の熱狂は、コアな音楽ファンの間でいまやちょっとした伝説となっている。

しかし奇妙なことに、米原さんが現在、キャンプ場運営にライフワークのようにして精を出しているのは、この時の「挫折」に起因しているのだという。

震災直後に南房総に帰ってきた米原さんとその仲間は、「地元を盛り上げたい」という一心で「あわのネ」に文字通りすべてを注いだ。仕事以外のすべての時間を費やし、極限まで頭と体を使うものの、報酬はもちろんなし。前例のないイベント開催には行政などさまざまな団体や人の協力が必要だったが、体当たりで臨んだ。

そうやってできたイベントは側からは大成功のようにも見えたが、実際には限界を感じていたのだと米原さんは振り返る。

「それまでもイベントを主催したり、青森から沖縄までマラソンして注目を集めたりしたこともあって、企画力とそれを実行するパワーにはそれなりに自信がありました。だから自分が帰れば、地元を盛り上げるくらいなんとかなるだろうと甘く考えていたんです。

でも実際はそうじゃなかった。確かに『あわのネ』にはたくさんの人が来てくれたけれど、それは主に南房総の外から来た人たち。地元の人は遠巻きに見ているだけだったんです。目の前でこんなにすごいことをやってるのに、なんで来てくれないんだろうって」

このままでは地元を盛り上げる前に自分たちが疲弊してしまう。そう感じた米原さんはアプローチを変えることにしたのだという。一足跳びに地元全体を巻き込むのではなく、まずは小さくてもいいから確固たる拠点を築き、そこに熱を宿すことによって、その熱を徐々に周りに広げていく。その拠点こそが、現在米原さんがいる白浜フラワーパークだ。

「それほど盛り上がっていないように見える南房総にあって、なぜかこの一角だけが盛り上がっているとなったら、みんな関心を持ってくれるんじゃないかなって。実際、3年やってきたことで、ほとんど何もなかったようなところに、いまでは夏だけで1万3000人を集められるようになりました。

そこでいよいよ次の一手として考えたのが、クラウドファンディングを使って実現しようとしていたナイトマーケットでした。『あわのネ』のような音楽メインのイベントには来てくれない地元のお母さんも、市場がメインのイベントなら立ち寄ってくれるかもしれない」

ところが好事魔多し、そこに降って湧いたのが今回の台風21号による被災だったというわけだ。そう考えると、今回の被災で米原さんがどれだけ落ち込んだかが改めて伝わってくるだろう。もともとは来年に予定していたナイトマーケットの開催が延期を余儀なくされるのは間違いない。

しかし、米原さんは前を向く。

「今回のことがあって、ここまでやってきたことは間違いじゃない、これからもこういうスタンスでいいんじゃないかと思うことができた。繰り返しになりますが、そのことが僕にとっては大きかったです。また子供たちの笑顔が見れるように、さらに大きなうねりが起こせるように、ここからもう一度頑張れそうな気がしているんです」

※プロジェクトは12/17まで実施中。ご支援はこちらから!

台風被害で壊滅したキャンプ場を復興して、来夏にまた子供の遊ぶ姿がみたい
  • 目標金額
    2,000,000円
  • 内容
    2017年10月23日の台風で被害を受けたキャンプ場を復興し、来年の夏、また子供たちが遊んでいる姿を見たい!

書いた人 : すずきあつお

元新聞記者で、現在はフリーのライター/編集者。プロレスとプロレス的なものが好きです。

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