元気がなくてもなんでもできる世の中へ〜デザインの力で「シャイ」をHACKせよ

消極性研究会・栗原一貴さんに聞く小さな声の届け方

「小さな声を届ける」ことを掲げてスタートしたのがBAMPというメディア。だが、小さな声を届けるためには、そもそも「小さな声はなぜ届かないのか」を考えなくてはならないはずだ。

小さな声が届かないのは、普通に考えれば、周りの大きな声にかき消されてしまうからだろう。だから本当に届けたいなら、「積極的になってもっと大きな声を出そうよ!」というのが、これまでによくある話の流れだった。

しかしもしかしたら、それとは別の答えもあるのではないか。あったらいいな。そう考えて今回インタビューをお願いしたのが、消極性研究会なる組織の代表を務める栗原一貴さんだ。

消極性の問題はジャイアンにとっても人ごとじゃない

消極性研究会は、対人コミュニケーションの苦手意識や日常生活における「やる気」のなさを研究する研究者有志によるグループだ。

彼らが目指しているのは、こうした消極性の問題をあらゆる方法を使って解決する、つまりSHYをHACKすることだという。

消極的であるとはどういうことか。いま、なぜその問題について考えなければならないのか。小さな声を小さなままに届けるには? 栗原さんに聞いた。

すずき

消極性研究会メンバーの共著である『消極性デザイン宣言』では、消極的であるということをモチベーションとコミュニケーションの問題として扱っていますね。

栗原

消極的であるって、エネルギーがなかったり、エネルギーを割くことができなかったりすることだと思うんです。これを個人の問題として捉えると、エネルギーがなくてその活動に飛び出せないということだから、要するにやる気、モチベーションの問題として表れます。一方でこれを社会との関係で捉えたのが、コミュニケーションの問題です。社会的な生き物である人間にとっては、コミュニケーションって、永遠に考えなければならない主たるエネルギーの使い先だと思うので。

すずき

いま消極性について研究するというのは、それだけこの問題が重要な時代になってきているってことですよね?

栗原

そうですね。インターネットと情報機器が発達したことにより、いつでも、いろいろなものが人間に介入してくるようになりました。それってやっぱり、地べたを歩き、言葉や文字でコミュニケーションしてきた人間の、生物学的なありようをポーンっといきなり超えちゃってるんですよ。例えば、手紙でやりとりするというのは時々であれば麗しい交流ですけど、それがEメールやSNSのメッセージという形で2秒に1回来るのでは、もう破綻しちゃうわけです。だから、こうした社会環境の変化を受けて、人間はエネルギーの配分について自分で考えなければいけなくなったと思うんです。

すずき

かつてはそこまで考えなくてもよかった?

栗原

そう。そしてそれと同時に、誰にとっての問題なのか、ということも変わってきています。消極性の問題というのは、かつてはいわゆるシャイな人に限った問題でした。僕らはよく「ジャイアンみたいな人」って表現するんですけど、リアルな世界で声が大きくて影響力のある人だけが強くて、反対に内省的で、行動を起こすまでの考えるプロセスの長い人は一様に下に見られるような社会でしたから、ジャイアンにとってみれば、こうした問題は関係のない話だった。だけど、インターネットによってコミュニケーションを取らなければならない人の集まりが増えた結果、いまや誰であっても、全方位・全時間的に積極的であるって、結構難しいと思うんです。例えば、仕事はバリバリやっていたとしても、ママ友付き合いだったり微妙な知り合いからの飲み会の誘いだったりはめんどくさいってことが、誰にでもありますよね? そうした集まりがどんどんモザイク的に重なって、増えていっているのが現代の社会です。そこでうまく立ち振る舞うためには誰でも、なんらかの基準なのか防御装置なのかを持って、うまいことリソース配分しないといけない。だからきっと、もはやシャイな人だけの問題じゃなくて、皆さんの中にもある問題なんじゃないですか?ってことなんです。

すずき

仮にジャイアンだったとしても、と。

栗原

いまを生きているジャイアンにはいろいろと苦労があるんです。そのことに無自覚だと、スマホゲームとかSNSでの“積極的”な活動だけで1日が終わってしまって、本来ジャイアンが活躍できる人生の範囲があるはずなのに、そこに束縛されちゃう。それは不幸じゃないか、と。

「隗より始めよ」ならぬ「SHYより始めよ」

すずき

やる気がない、声が小さいというのは、先ほどおっしゃっていたエネルギー量が少ないから、と理解すればいいんですか?

栗原

僕らは医学分野の専門家ではないので、エネルギー的なものがどう湧き出て、どれくらいの量があるのか、みたいなところは正直分かりません。でも、そこはあまり深く考えなくていいんじゃないかというのが出発点でもあるので。というのも、例えば仕事をするにあたって、やる気が出る時もあれば、出ない時もありますよね? 常に一定以上やる気が出るように、自分の中でありとあらゆる工夫をしたとしても、それでも浮き沈みってありますよね?そうだとすれば、どのようにしてやる気を出すか、どのようにして大きな声を出すかを考えるより、そういう浮き沈みはあるものだというところから始めて、浮き沈みがあってもQOL(Ouality of Life=人生の質)に影響しないような環境づくりをした方が有益なんじゃないか、と。だから僕らは中国の故事「まず隗より始めよ」をもじって「まずSHYより始めよ」とか言うんですけど(笑)。

すずき

なるほど。やる気なんていうアテにならないものに頼らなくてもうまくいくような環境づくり、仕組みづくりをした方がいい、と。それこそがデザインというわけですね?

栗原

そうです。誰だって自分の生活が豊かになったら嬉しいわけですけど、そのための手段が「はい、腕立て100回ね」みたいな感じだとやる気が出ない。でも、自分を鍛えるのではなくて、環境の方をちょっとずつ変えることだったらできるかもしれない。6時に起きるために「6時に起きるぞ!」と念じるのではなく、目覚まし時計をセットするっていうのもその一つです。あるいは起こしてくれるように誰かに頼むでもいい。要は結果的に自分がよりよく生きられればいいことなんで。そういう意味では、情報技術とかプログラミングってすごくいいんですよ。機械って、人と違って言うことを聞いてくれるんで。自分に合うようにうまくカスタマイズしてあげればいい。将来的にはもしかしたら、飲むだけで6時に起きられる「ロクジニオキール」みたいな飲み物ができて、生理学的に解決してくれるかもしれないですけど。現状は、環境をデザインする上で情報技術がものすごく有効であり、いかようにもデザインできるんだよってことです。

リア充による「ウェーイ!」とは違うやり方で

栗原

その上で、いかようにもデザインできるんだったら、サービスの作り手側としては、リアル世界ではあまり自分の才覚を発揮できない人が活躍できるような、そういう方向に技術を使う方がいいな、と僕らは思っているんですけど。でも現状は、「ウェーイ!みんなでパーティーやろうよー」っていうのをそのままインターネットに載せただけっていうサービスが多いですよね。そういう場所だと消極的な人は、「なんだよ。結局パリピがネット上で騒いでるだけじゃん」ってなってしまう。ただでさえパリピ的な人、リア充的な人というのはネットの使い方も上手だから、消極的な人が参画できないような状況ってのが、すぐに作られちゃうと思うんですよね。僕らはそういう積極性を強要するような動きを「シャイ・ハラスメント=シャイハラ」って呼んでるんですけど、パリピ的な人は、それを無自覚にやってるんですよね。「こうやれば楽しいだろ?だったらネットでもそうしよう!」って。

すずき

その点で言えば、このメディアの運営母体であるクラウドファンディングの『CAMPFIRE』とか、Eコマースプラットフォームの『BASE』とかって、まさにそうした消極的な人でも声を上げられるように、っていう思想から始まってるんですよ。

栗原

すごく興味がありますね。『消極性デザイン宣言』では、「ウェーイ!」みたいなのとは別に、無理なく人を集めることができる仕組みだってあるはずだと言いつつも、具体的にどうやるのかってところはこの先の課題となっていたんで。でも今回取材のお話を受けてよくよく考えてみたら、クラウドファンディングってまさに、無理なく人を集める、匿名の善意を集めるということを使命としてやっている場だな、と。 それにクラウドファンディングって、そもそも人が集まりやすいような構造を備えていると思うんですよね。

すずき

どういうことでしょう?

栗原

お金って良くも悪くも、素直に積み上げられる貢献なんですよ。色がついてないから。相当な利害関係がない限り、他の誰かが出資したかどうかで自分の行動を決めるという、ネゴシエーションは起こりにくいはずです。これは資本主義経済そのものの性質ということかもしれないですけど。シャイな人って考えすぎだったりするので、人と人とのネゴシエーションが増えれば増えるほど、やる気がなくなっちゃうところがあるんですよね。そうした人でも気兼ねなく参加するためには、個々人は好き勝手にやっているだけなのに、全体としてはうまくいく、というデザインがグッドプラクティスなわけです。『ニコニコ動画』なんかは、誰かが詞をアップしたら、それに絵を描く人、ギターを被せる人、歌う人みたいなのが同時多発的に広がっていって、結果的に芸術作品が豊かになるということで、まさにそうなっているんですけど、そもそも人の貢献が集まりやすい性質を持つお金を介しているという点で、クラウドファンディングにも似たところがあるのではないか、と。

クラウドファンディングをリ・デザインするならば……

栗原

さっき急遽メンバーとチャットして、こうしたら消極的な人でももっと無理なくクラウドファンディングを使えるってアイデアをブレストしてみたんです。とりとめなくなっちゃかもしれないんですけど、話してもいいですか?

すずき

ぜひお願いします!逆にそこから消極性についての理解が深まることもありそうですし。

栗原

まず、コミュニケーションがしやすい人数には人によって違いがあります。例えば私は、1対1のコミュニケーションは得意だし、大勢を前にして発表するのにも慣れているけれど、合コンのような少数の集まりでの振る舞いが苦手です。大勢とのコミュニケーションが苦手な人からしてみれば、現状のクラウドファンディングは、大勢の人が集まっているパーティー会場にいきなり赴くようなものかもしれません。これを例えば、出会い系サービスで使われているような、信頼できる共通の知人を介してプロジェクトの発案者と出資者が出会うようなデザインにするというのは、どうでしょうか。参加するハードルが少し下がる気がします。……ってこんな感じなんですけど、大丈夫ですか?

すずき

続けてください!

栗原

気軽に参加する上では匿名性をうまく使うことも重要だと思うんです。その集団が責任とか社会的な力を持つためにはどこかのタイミングで実名にせざるを得ないとしても、最初は匿名で始まって、例えば100人集まった時点で発案者名、もしくは出資者リストが公開される、というのはどうか。
江戸時代の百姓一揆などで、首謀者を隠すために活用したという「傘連判状」と同じ発想です。出資者としては「あんなプロジェクトに出資しているのか!」という誹りを受けずに済むことになりますし、発案者としても失敗が失敗として残らないぶん、躊躇せずに発案できるかもしれません。

すずき

SNSでも、気合い入れて書いた投稿に全然「いいね!」がつかなかったら、消えたい気持ちになりますもんね。

栗原

ものすごく多様性のあるプロジェクトを抱えていることも重要でしょう。全部がNPO的なプロジェクトだったら気軽に参加するには重すぎるし、広告代理店が入っていそうなオシャレなものばかりでも気後れしてしまう。いろいろなものが集まっていて、それでいてまとまりを演出できるデザインというのが、必要な気がしますね。

すずき

ありがとうございます。いまいただいたような提案をどう実現していくかはプラットフォーマーとしての役割ですけれど、制御不能な意志の力に頼って頑張らなくても、人生はいかようにもデザインできるというのは、いろいろな人にすごく勇気を与えるメッセージだと思いました。

栗原

でもそうやって積極性/消極性という軸で考えると、Eコマースプラットフォームというのもまた、すごく興味深いですよね。

すずき

というと?

栗原

『BASE』を使って店を持つというのと、例えば『メルカリ』のようなサービスで商品を個別に売ることの違いって何ですかね? 単純に参加しやすさだけで考えたら、後者の方がハードルが低いはずじゃないですか。それでもなお商店を持とうというのはどうしてでしょう?店を持ちやすくするというのが『BASE』の目指すところだったとしても、あえて店を持つというのには、店でなければならない理由があるはずです。おそらく、ものを売り買いするだけでは収まらない何かをやりとりしているってことなんだと思います。一つ一つの売り買いで閉じない、屋号のブランドの浸透なのか、買い手とのコミュニケーションなのか。それは分からないですけど、もしかしたら、それをどう伝えるかということが、Eコマースを成功させる上で一番重要なことなのかもしれないですね。

プロフィール
栗原一貴(くりはら・かずたか)
1978年生まれ。津田塾大学学芸学部情報科学科准教授。物議を醸すシステム開発を得意とする情報科学者、「お喋りな人を邪魔する銃」で2012年イグノーベル賞受賞。http://unryu.org/

書いた人 : すずきあつお

元新聞記者で、現在はフリーのライター/編集者。プロレスとプロレス的なものが好きです。

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