シャッター通りを買い取り、再生させた男の「暮らしたい街のつくり方」

「まちづくり」「シャッター商店街の再生」「リノベーション」「地方創生」などの言葉をよく聞くようになった昨今。

家族や地域の友人、ときには自治体とも力を合わせて、地域の活気を取り戻そうとするさまざまな取り組みを見かけるようになりました。

新潟市にある『沼垂(ぬったり)テラス商店街』の再生物語もそのひとつ。


トタン屋根の長屋が立ち並ぶ『沼垂テラス商店街』。ひとつの長屋に、横並びで数軒ずつの店舗が入っている

『沼垂テラス商店街』は、かつて『沼垂市場通り』の愛称で親しまれ、野菜の卸売を中心とした小さな「市(いち)」が軒を連ねて栄えた、いわば街の生活拠点。

しかしその後、高度経済成長やバブルの波、近郊に大型複合施設が誕生した影響により、シャッター通りに……。

そんな市場通りの衰退を見かねて、昭和40年からこの通りで営業を続ける大衆割烹の居酒屋『大佐渡たむら』の二代目店主・田村寛(たむら・ひろし)さんは、ある決意を決めました。「旧沼垂市場通りの長屋すベてを買おう」と。

田村さんは、2014年に旧沼垂市場通りの活用を手がける会社『テラスオフィス』を設立し、全商店の土地と建物を購入。『沼垂テラス商店街』と名称を新たにし、この場所の再生に乗り出したのです。

2010年から現在に至るまでの地道な声がけが実り、飲食店、カフェ、居酒屋をはじめ、アクセサリーショップ、花屋、総菜屋など約30店舗が入居。閉ざされていた市場通りのシャッターが、すべて開かれました。

さらにはその再生の軌跡が2017年の『グッドデザイン賞』に選出。今ではかつてないほどの活気を見せています。現在のにぎやかな商店街の風景を見て、田村さんは次のように話します。

「例えば、仕事でクタクタになった日曜の朝。疲れて、ごはんも作りたくない、何もしたくないけど、何か食べたい、誰かと話したいなんて時があるじゃないですか。
そんな時にパジャマに上着を羽織って、サンダルを履いて外へ行けば、馴染みのお店でごはんもコーヒーも笑い話も待っている。そんな暮らしが理想だったんです」

田村さんが「理想」と語る暮らしの風景が、実現しつつある沼垂テラス商店街。田村さんにとってここはどのような場所なのでしょうか。

閉ざされたシャッター通りのふるさとを新たな商店街として開いた背景にある、「自分の暮らす街をよりよくしたい」という思いについて話を聞きました。

子どもたちに自分の街の良さを知ってもらいたかった

田村さんは沼垂で生まれ育ったそうですが、小さい頃の街の記憶はありますか?

よく憶えてますよ。かつての沼垂市場通りは実家の目の前で、小さい頃からよく遊んでましたからね。当時(昭和40年代〜50年代)の市場通りは、野菜の卸市場として栄えていて、朝3時からトラックや台車がバンバン走っていて活気がありました。八百屋から、肉屋に魚屋、駄菓子屋、パチンコ屋まで、何でもありましたね。


昭和34年に撮影された沼垂市場の様子。当時は「市(いち)」と言われる店舗が立ち並び、近隣の大きな工場に勤めている人も多かったため、買い物や飲食をする人が集うにぎやかな風景が広がっていたそう(写真提供:株式会社テラスオフィス)

田村さんが旧沼垂市場の再生に乗り出すきっかけは?

大学進学を機に県外に出ていた私は、1993年に実家に戻ってきて、家業の居酒屋を一緒にやるようになりました。でも当時の市場通りはかつての活気をなくしていて、すっかり変わり果てた風景が広がっていたんです。

そこで私は「このシャッター通りを何とかできないだろうか」と思い始めて、実家の目の前の空き店舗を一軒借り、2010年に総菜屋『Ruruck Kitchen』をオープンしたんです。

家業と並行して、まずは自ら率先して、市場通りにお店を開いてみたんですね。それが一つのきっかけに?

そうですね。それからとにかくどこへ行くにも「旧沼垂市場通りでお店を始めたい人はいませんか?」と話すようになったんです。自分が暮らす沼垂が好きだったし、いいところだと思っていましたからね。

無理なく一緒にやってみたいと思ってくれる人がいたらいいなあ、くらいの感じでした。

肩肘張らない、自然体なアプローチですね。

そんなガツガツしてもね。商売って、やっぱり簡単ではないから。でも、自分で空き店舗を借りてお店を始めたら、面白がって共感してくれる人がきっといるだろうなあとも思っていました。

そしたら、たまたま妻の知人を通じて、家具のデザインと染織を手がける夫婦が興味をもってくれて。その2人が2011年に、カフェと雑貨のお店『ISANA』をオープンしたんです。

地道に声がけをしていった結果ですね。

タイミングがよかっただけじゃないですかね。DIYで作られた『ISANA』は市場通りの窓口になって、メディアにも取り上げられるようになりました。それからはどんなにスケジュールが満杯でも、取材は一切断らず、旧沼垂市場のことを発信していくようにしたんです。

それから市場通りでお店を始めたい人が、少しずつ集まってきたんですか?

メディアへの露出も多かったから、いつの間にか僕と『ISANA』が窓口となって、空き店舗のことを紹介したり、案内したりするようになっていましたね。

2011年には『ISANA』に続いて、陶磁器の工房兼ショップの『青人窯』がオープン。その時、お祝いで3店舗合同のイベントを開くことにしたんです。そしたら思いのほか、たくさんの人が来てくれて!

どんなイベントをやったんですか?

金魚すくいとか里芋のつかみ取りとか、子どもが楽しめるお祭りみたいにして。カラー刷りのチラシを作り自分たちで配って、けっこう気合い入れてやったんですよ。周囲の協力を得ながら、自主企画で運営費はほぼ自腹でした!

田村さんの「沼垂が好きだから」という気持ちが、ぐっと込められてますね。面白いなあ〜。

気持ち一つでしたよ! 行き当たりばったりでしたけど(笑)。自分が歳を重ねていく中で、子どもたちにも、自分たちの街がいいところだなと思ってもらいたかったからね。

だから翌年は、子連れでも来やすいように、市場通り沿いの道路を車両通行止めにしようとしたんです。だけど、行政からも警察からも渋られて……。「なんで、こんな何もないところを通行止めにするんだ?」と。

かなり説得されたんですか?

「どうしたら通行止めの許可をもらえますか?」とすぐに聞きに行きました。

その時わかったんですけど、通行止めって、個人のお店のためには許可されないんですよ。だから「沼垂テラス商店会」を作って、みんなにハンコをもらって、書類を揃えて申請しました。僕はもともと、「スピード感を持ってやらないとダメ」と考える性分だからね。


実家の『大佐渡たむら』に戻ってきた田村さんは、2010年に総菜屋『Ruruck Kitchen』をスタート。その後、2011年にオープンした『ISANA』や『青人窯』とともに、旧沼垂市場通りの活気を取り戻そうとイベントを自主企画。旧沼垂市場通りに地元の人たちが集うきっかけとなった(写真提供:株式会社テラスオフィス)

イベントがきっかけで、市場通りでお店を始める人もいたんでしょうか。

自前でテントをもってきて野外出店をしていた人が、お店を始めたケースもあります。

沼垂エリアを面白がって、自然と人が集まっていった感じがとてもいいですね!

そうですね、だんだんとつながっていった感じでした。

「やれることをやるだけ」シャッター通りを買い取った明快な理由

旧沼垂市場通りでお店を始めて、他の店舗を使ってくれる人を募って。さらには自腹でイベントを企画して。ここまではまだ、「シャッター通りを買う」段階ではなかったんですね。

そうですね。旧沼垂市場通りを買ったのは、2014年の3月頃でした。

そもそも「シャッター通りを買う」とはどういうことなんでしょうか?

まず旧沼垂市場通りは、一棟の長屋に数軒ずつテナントが入っています。なので、テナント単体では買い取ることができないんです。

なおかつ、土地は市場協同組合の所有で、長屋は別々の所有者がいて。もう複雑すぎてね。

土地と建物の所有者がバラバラだと、市場通りが一丸となって何かをするにも、たくさんの人への説明と理解が必要になりますよね。

そう。だから自社で土地と建物ごと買い取って運営した方が簡潔になると考えて、会社を立ち上げました。

とは言え、簡単に覚悟を決められることでもなかったと思います。

「英断ですね」なんて言われることもありますけど、そんなに大げさなことではなくて。

というのも、それまでに『ISANA』や『青人窯』をはじめ、空き店舗を活用してお店を始めようと動いてくれた人たちがいたので、事業として運営していく可能性を感じていたんです。もちろん、銀行から借り入れをするために事業計画もきちんと立てました。その上で、民間事業として運営していくための算段もつけました。

色々と見通しを立てるべきところはありましたが、やると決めたので、大変に感じたことはないですよ。「やれることは即やる」が、私のモットーですから(笑)。


協同組合から旧沼垂市場通りを買い取ることができたのは、田村さんが家族と切り盛りする割烹居酒屋『大佐渡たむら』の信用もあってのことだったそう。市場通りでもともと営業を続けている八百屋や雑貨店など4つの既存店舗に加え、このエリアに魅力を感じた人たちのお店が集い、2012年に全28店舗が営む『沼垂テラス商店街』はスタートした

地域エリアを買い取り、再生に乗り出す事例というのは、民間事業としてはまだ珍しいと思います。

民間の事業として運営したことで、行政主体よりも「スピード感」と「危機感」が生まれ、結果的に責任感を持って事業に臨むことができたのではないか、と思います。

行政主体だと「スピード感」と「危機感」に欠けるのは、なぜでしょうか?

公の税金を使うことになれば、縛りが発生しますよね。もちろん、税金は公共性を保って使われるお金だから、健全な資金運用をするために、使い道に制限があって当然です。だけど、書類や説明するための材料を揃えるだけの時間がかかってしまいますから、当然「スピード感」は落ちてしまいますよね。

それから、会社単位で資金を運用していくと、「何にいくら使って、どういう経済効果が生まれたか」という結果が明快になりますよね。一方で補助金をアテにしてしまうと、経済効果が生まれたかどうかが、どうしても曖昧になってしまう気がしていました。

補助金はリスクを避けるために若い人があくまで“補助”として活用する分にはいいでしょう。だけど、それはあくまで補助ですから、失敗できないという「危機感」は、どうしても薄れてしまうのではないでしょうか。

あくまでも、補助金ありきの事業体にせず、事業活動を明確にするために会社として取り組んでいるのですね。

その方が明快ですからね。もちろん、私たちも補助金をまったく使わなかったわけではありません。大切なのは、補助金がないことを前提に事業計画を立てることです。

月に1回、街の顔が見える「朝市」の役割

「旧沼垂市場通り」改め『沼垂テラス商店街』を運営していくためには、まず、建物を活用する人がいなくては成り立ちませんよね。開業したい人をマッチングするために、どのようなことをしてきましたか?

これまで、毎月第1日曜日に「朝市」を開催してきました。この日は、全店舗が必ずお店を開けるんですね。普段は営業時間がバラバラのお店が一同に会することになるので、店主や来場者の交流の場になっているんです。

さらに将来お店をもちたいと考えている人や、趣味で作品を作っている人たちが、試験的に出店できる機会でもあります。


毎月1日曜日の朝は、全テナントがオープンする朝市が開かれる。子ども連れから近所のおじいさんおばあさん、遠方から視察に来る人もあとを絶たない。自前のテントで出店する人たちの中には、この場所に愛着をもって、次第に開業を夢見るようになる人もいる(写真提供:株式会社テラスオフィス)

「朝市」での出店をきっかけに、商店街でどんなお店が開けるかを想像できそうですね。

そうなんです。今は全ての店舗が埋まっていますが、いつか空きが出たら、沼垂でお店を開きたいと考えている人たちもいます。

それから最近では、県立大学のゼミ研究と連携して、周辺地域の空き家調査を進めています。商店街以外の場所で、大家さんと使いたい人をつなげる取り組みですね。

もちろん、人をつなげるとは言ってもちゃんとその空き家を生かしてくれる人を大家さんに紹介したいですし、ただ紹介すればOK、という話ではないと考えています。なので、これまでに商店街で開業したいと声をかけてくれた方たちのことは、すべてウェイティングリストとして記録しています。空き家が見つかった時には、順次、声をかけさせてもらっていますよ。


『沼垂テラス商店街』から離れたエリアの空き物件も田村さんが紹介したことで、革靴の修理とクラフトビールを扱うお店『KADO Shoe Repair & Beer Shop』やゲストハウス『なり-nuttari NARI-』、写真集を中心とした新刊・古書をセレクトする本屋『BOOKS f3』などもオープンした(写真は『BOOKS f3』)

沼垂テラス商店街で夢を叶える人が現れ、さらにその姿を見て、いずれは自分もお店を持ちたいと思う人が現れて……。田村さんが見た、かつての沼垂市場通りの風景になりつつあるのでは?

共感して面白がってくれる人たちと出会えてよかったです、本当に。「旧沼垂市場通りが、こんな風になればいいなあ」と考えながらやってみたことが、実際の姿として見えてくると、次のやり甲斐になりますよね。

現実的に難しいことってたくさんあります。だけど、何事も「どうしたら変えられるかな」とか「できないなら、どうやったらできるようになる?」と考えを転換して、まずはやってみた方がいいんだと思いました。

今の『沼垂テラス商店街』のにぎわいは、子どもたちの目に、どのように映っているのでしょうか。

子どもたちもいつの日か、新しい時代の仕組みや逆境すらも生かして、それぞれの愉しさを携えた暮らしをこの街でつくっていくのでしょう。田村さんが覚悟を持って行動し、旧沼垂市場通りの活気を取り戻したように。

☆沼垂テラス商店街 http://nuttari.jp

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書いた人 : 新貝隆史

2011年大学3年の冬から、長野市「旧シンカイ金物店」に暮らしはじめる。生活拠点としながら、蚤の市や演奏会、食事会などを企画。大学卒業後、中学校教諭を経験し、渡米。帰国後はアパレル販売員を経て、フリーライターとして独立。拠点は長野と東京。2018年5月からスタートした「やってこ!シンカイ」のSTORYBOOKを制作中。Huuuu所属。general.PR代表。

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