「未来なら変えられる」不登校の若者を社会に送る熱血教師の狂気

人は誰でも、得意なことと苦手なことがあります。

例えば、今あなたは、どちらの手でスマホをスクロールしていますか? マウスなら、右手を使っているでしょうか。

では、反対の手で操作してみてください。絶対に利き手は使わずに。

どうですか? スラスラ操作できる人もいるでしょう。だけど、どうにも利き手を使ってしまいたくなる人もいませんか? 違う頭を使うような感覚がして操作は遅くなるし、うまく操作したいのに思い通りにいかなくて、ドギマギしてきませんか?

わざとではないし、早くうまく操作したい。だけど「なんで、みんなと同じようにできないの?」ととがめられたら、あなたはどんな気持ちになるでしょう?

人には利き手があるように、得意なことと苦手なことがあります。それが当たり前。だから、違いがあっておもしろいはず。だけど……。

ピッチャーとして採用されたのに、バッティングができないことを責められる。教育業界ってけっこうそういうことが多い気がして。下手したら、投げる機会も与えられないまま『お前はバッティングが苦手だから、俺たちが全力でサポートして、万全のコーチ陣で特別にバッティング指導をしてやる!』なんてことになってしまう」

そう話すのは、東京都中野区にある『NPO法人 翔和学園』の伊藤寛晃(いとう・ひろあき)学園長。

まだ公立学校で「特別支援教育」がはじまっていなかった十数年前から、不登校をはじめさまざまな問題を抱える若者の小さな声に耳を傾けてきた、教育一筋の熱血教師。そんな伊藤先生に、現代の若者を取り巻く教育課題をお聞きしました。

教育に携わるすべての人、子育てをしている大人、これから子育てをすることになる若者。そして、他ならぬ子ども自身。一人でも多くの人に届けたい、教育現場の声がここにあります。

※「特別支援教育」……障害のある幼児児童生徒に対して、生活や学習上の困難を改善または克服するために、適切な指導及び支援を行うもの。明治初期からはじまった盲・聾教育に由来する「特殊教育」から「特別支援教育」へと転換されたのは、2001年のこと。(参考:文部科学省公式HP「特別支援教育について」/ 「第七節 特殊教育」)

『翔和学園』
旧称:ステップアップアカデミー(東京都中野区)。1999年設立。発達障害やさまざまな不安をもつ18歳以上の若者を対象に、集団の中で生きていく力を養い、社会的自立をめざすための学校としてスタート。2004年に高等部、2005年に小中学部を開設。2006年からは「青春を謳歌し、自尊心を養い、生きていく気力を育む」を新たな理念に掲げ、教育的支援を行っている。2014年には、長野県長野市に『長野翔和学園』大学部を開校。 
http://www.showa-gakuen.net/

根性論で語られていた日本の教育現場

僕は昨年度から『翔和学園』の取り組みを取材し、公立学校だけでは担いきれない、多様な子どもの居場所づくりを模索するようになりました。そこで感じた伊藤先生の想いを、今日は『BAMP』読者へ伝えられたらと思います。まずはじめに『翔和学園』がどんな学校か、伊藤先生からご紹介いただけますか?

もうとにかく、子どもたちのエネルギーを満タンにして、溢れさせていく場所ですよ! 私はね、教育には「狂気が必要だ」と思っていますから。

「狂気」というのは…?

翔和学園の学生たちは、苦手なことばかりを指摘されて不登校になった子が多く、さまざまな悩みを抱えています。だから、入学してくる段階ではエネルギーが空っぽの状態なんですよ。

でもね、彼ら一人ひとりには、ちゃんと自分だけの才能があります。それを「伸ばしてあげる」のではなく、教師が一緒になって、狂ったように楽しみながら、彼らのエネルギーを溜めに溜めて卒業させていく。そして、彼ら自身が自分の才能に自信をもつ。これが『翔和学園』の教育方針です。

先生と学生がいっしょになって、紅白対抗合戦が繰り広げられた合宿での一幕。全員が全力で応援し合い、勝敗が決まる度に大喜びする姿は、まさにエネルギーいっぱい


いわば「プライベートキャンプ場づくり」とも言える『大鷲山開拓プロジェクト』では、学生たちと密林を切り開き、小屋づくりや農地開墾などに挑戦。いくつもの初体験を味わい、お互いに協力し合うことを通して、学生たちは絆を深めていった

さまざまな経験を通して、「狂気」にもとれるほどのエネルギーを学生に注ぐ、ということですね。この想いに至ったのはなぜですか?

私はかつて、「サポート校」で学級担任をしていました。

「サポート校」とは、中学まで不登校や引きこもりだった若者が集まる高等学校で、在籍者数は3学年で600名を超えるほど。生徒はみんなもともと不登校や引きこもりなわけですから、41人学級で朝のホームルームに3人しかいない、みたいなことが毎日で。なんじゃこりゃー!ですよ(笑)。

それは驚きですね。

だけど、ちゃんと勉強ができる子もいっぱいいるので、最後には元気になって進学していくわけです。しかし、すっかり元気になったなあと思ったら、1年も経たないうちに大学を辞めてしまう子がけっこういて。そこで私は考えました。

「どうして、この子たちは社会に出られないのだろうか?」と。

不登校や引きこもりの経験をもつ若者たちが社会に出ていくためには、「サポート校」を卒業した、さらにそのあとまでを見守る必要がある、ということですか?

そうです。私は「彼らが不登校や引きこもりを抱えている根本的な原因」を、子ども一人ひとりの様子から徹底的に調べていくようになりました。

医学書を読んだり、専門誌を読みあさったりして、子どもの行動や特徴を自分なりに分析したノートを作ったこともありました。最終的には「職員室にいたんじゃ追いつかない!」と思い、廊下にあったコピー機の隣に私の席がある、なんて状態でした(笑)。

そこで見えてきた傾向は、どのようなものでしたか?

ある衝撃的なエピソードがあります。とある授業で、ノートを出さない子がいたんですよ。その子と、こんなやりとりがあって。

「ノート持ってる?」と聞いたら、「持ってます!」って返事するんですよ。「いやいや、普通は、慌ててノート出すでしょ?」と思った私は、「先生のことバカにしてるの?」と聞いたら、「バカにしてます!」って答えるんです。「じゃあ、帰っていいよ」と言ったら、「帰りまーす!」と。

意味がわからなくて、「そこは先生に謝るところだよ!」と言ったら、「すみませんでした!」って、答えて帰ろうとするわけですよ。

「いやいや、ちょっと待ちなさい」となりますね……。

要するに、自閉症の特徴的な傾向のひとつと言われている「オウム返し」をしているだけなんです。この日の出来事を臨床心理士の先生に相談したら、「一言『ノート出しなさい』って言えば済んだじゃないの。あんた、そのうち裁判で訴えられるわよ」って叱られました。

先生側が適応するべきだ、と?

私としても予想外だったので、「いや、普通は、『ノート持ってる?』と聞かれたら、出すでしょ」と臨床心理士の先生に言いました。すると、「普通じゃないのが当たり前なんだから。なんで、あんた“普通”とか言うの?」ってまた叱られちゃいましたよ。

そんなことを経験しながら、子どもたち一人ひとりの特徴や傾向を、きちんとチェックしていきました。すると、一人残らず、何かしらの認知の障害に悩まされている、ということがわかったんです。

それは驚きの事実ですね。しかし、「普通であること」を親や社会が求めているとしたら、「障害」と明言するのには苦労したのでは?

当時はまだ、日本で特別支援教育もはじまっていなかったですし、「発達障害」という言葉もなかったくらいですから、保護者にも周りの先生たちにも、当然に受け入れてもらえませんでした。「どうして、うちの子が検査されなくちゃいけないんだ!」と、親御さんにひどく怒られたこともあります。

私自身も、彼らのことを「たるんでいて、根性がない」「真剣さが足りない」「甘やかされている」なんて思っていた節があったくらいです。

だけど結局、彼らはなんらかの障害があるという事実を先送りにされたまま、「できない子」と呼ばれ、5段階評価で「1」という成績をつけられて、小・中学校を卒業してしまう。誰も彼らの特性に気づかないまま、あるいは知ろうとしないままなわけですよ。

だから、私たちは「必要なことなら、なんでもやる」と決めて、徹底的に彼らの特徴を調べ、適切な対応を学んでいったんです。

子どもの苦手さばかりを叱ってしまった親の涙

子どもたちへの具体的な対応として、どんなものがありますか?

例えば学校の視力検査って、視力が2.0あれば問題なしですよね? でも、本当は、視力が2.0あっても、脳が映像を認知しているとは限らないんです。ちょっとやってみましょう。


両手の人差し指を立て、前後に見る。両目を使って、手前の指にピントを合わせると、奥の指がぼやける


反対に、奥の指を見ると、手前の指がぼやける

私たちは、手前の指と、奥の指を見るときに、自然とそれぞれにピントが合うようになっていますよね。これを眼科医の先生に診てもらったら、私の学級の学生50人中46人が視力に関する問題を抱えていたんです。

目の認知や処理に何らかの問題があった、と? それと不登校や引きこもりには、どんな関係があるのですか?

つまり子どもたちは、距離感や形を正確につかめていなかったのです。

それなのに学校では、「板書をノートに写しなさい」と言われ、遠くと近くを交互に見ることを繰り返さなくてはいけない。これを続けると、彼らは頭痛が伴うくらいの疲労感に襲われるわけです。しかし、その大変さをわかってもらえず、「根性がない」「授業態度が悪い」なんて言われてしまい……。

認知の機能に問題があるとは、誰も思わない……?

そういうことです。眼科医にきちんと診断してもらい、補強メガネをかけた子どもは、「生まれて初めて、みんなが見ている世界を知った」と驚いていました。

当時はまだ、就労移行支援施設や専門家は、こうした機能の苦手さを直す「作業訓練」に傾倒していました。しかし、私たち『翔和学園』はまず、彼らの特性を徹底的に理解することに努めたんです。すると、彼らには、能力の峰(凸)と、能力の谷(凹)があるということがはっきりしてきたのです。

脳や身体機能に得意・不得意があるということですか?

はい。彼らの特性をきちんと知った上で、親御さんに話したら、「やだ、先生。この子の能力の谷(凹)ばかりを叱り続けてしまったわ。どうして誰も教えてくれなかったの?」と泣き出してしまう方もいました。だけど、親御さんが子どもたちの能力の谷を受け入れると、子どもたちは安心して、成長もすごく早まるということがわかってきたんです。

話を伺っていると、こうした機能の問題は、実は「障害」とも言い難いのかなと思います。伊藤先生はどのように考えていますか?

はっきり言えるのは、彼らが生まれもっているものは障害ではなく、認知や能力の凸凹なんです。得意なことと苦手なことの差が大きいだけ。その差の大きさ自体は、障害ではないんです。

ただ、その差が大きいことが原因で社会に不適応を起こさないために、凸凹をうまく活かすサポートと、受け入れてもらえる環境が必要なんです。しかし、世の中はそう、うまくいかない。

そのうち、苦手さに対する彼らの中のコンプレックスが膨らみ、二次的な問題が発生してしまうことがあります。キレやすいとか、集中力がないということを「発達障害」と捉えている人もいるかもしれませんが、それは障害ではないのです。

彼らの機能の凸凹を知り受け入れる、周りの人の理解が必要ですね。

ただ、世間的には、「凸凹の人がいます」なんて考えられていなかったですし、凸凹のデータを見る人なんてそうそういないわけですよ。

例えば学校で、「あの子は体育が苦手だけど、恐竜博士だよね!」とはならないわけです。職員会議でも、多くの場合、「体育の苦手さをどうしようか?」ということは話し合われても、「あの子の天才的な恐竜の知識をどうするか」とはなりません。人の印象というのは、短所が目につきやすいものですから。

人間の生きていく気力を育てる

飲食や雑貨の販売、会場装飾制作などを手がける、年に一度の文化祭。先生と学生、時には来場者も巻き込んで、みんなで円陣を組み、テーマソングを大熱唱

結果的に、短所を叱られる、意図とは反して直される……。どんどん自己肯定感が薄れていきそうですね。でも、そういった経験をしてきた子どもたちが社会に出ていくためには、何が必要なのでしょうか?

まずは、「自分が受け入れられている」あるいは「誰かの役に立っている」という帰属意識が必要です。自分は必要とされている、好かれている、愛されている、という人間の存在感が芽生えること。そういう教育と環境を、『翔和学園』ではつくっています。

生きていく上で、とても大切なことですね。

そうです。その上で、自分の可能性に対する確信がもてるかどうか。「自分には無理だと思っていたけど、やればできるんだ!」という経験にもとづく自信を彼らに与えたいんですよ。

特に学生の卒業スピーチは、まさに彼らの成長の軌跡が語られていて、感動しました。


伊藤先生が卒業生全員に証書を贈る卒業証書授与式の一幕。最後には、とびきりの笑顔と熱い握手を贈る。卒業生は照れながらも、嬉しそうな表情を浮かべてスピーチへ

ある学生はこんなスピーチをしていましたね。「本音を言うことの大切さ。お互いの気持ちに気づくこと。翔和学園に来て、みんなと過ごしていく中で、共に助け合って歩んできたことは、大切な思い出になりました」と。

力強い言葉でした。学園での3年間を通じて、徐々に自分と向き合っていく。その上でようやく、子どもたちに将来の夢が生まれてくるわけです。

そもそも多くの子どもたちは、過去のトラウマに引っ張られて、考えがなかなか前に向かないんですよね。「いじめられたせいだ」とか「あの先生に教わったせいだ」と。不運な人生と思い込み、運命的に恵まれなかったと考えてしまい、自分の意思と努力で未来を今に引っ張ってくるという意識がないんです。

自信や成功体験がないと、そう思えても仕方がないのかもしれないですね……。

だけど、僕が彼らに言っているのは、「過去は変わらないけど、未来は変えられる」ということ。

「誰かの役に立っているんだ」「そんな自分の可能性を伸ばしたい」「夢を実現させたい」と彼らが思えるようになること。これを私たちは、「人間の生きていく気力を育てる」という教育理念として掲げ、彼らと日々向き合っています。


秋の大運動会では、紅白に分かれ、両チームが切磋琢磨し合う。先生もいっしょになって、学生とハイタッチ


エネルギー溢れる大熱唱の度に、自然と肩を組み合う様子はいつものこと。先輩と後輩の境界線を越えて、みんながひとつになる

挫折をしても、励まし合える仲間がいるだけで

翔和学園で仲間と手を取り合い、もう一度、青春を送る。そんな学校生活を通じて、社会へ出ていく。そのあとの彼らは、どんな人生を歩んでいくのですか?

まさに大切なのは、卒業してからの人生です。近年の調査によると、『翔和学園』では、約8割の学生が就職した会社で3年以上継続して働いています。

不登校や引きこもりの経験があった若者が、きちんと社会に出ているという証明ですね。

とはいえ、会社内での人事異動が、ひとつの節目になることもあります。今までの上司は特性を理解してくれていたのに、新しい上司になった時に「なんじゃこりゃ!」となってしまうこともありますから。

そういう意味では、職場だけでなく、社会全体が特別支援や障害をもつ人との向き合い方に関して、理解を深めていかないといけない。

もう、それは本当にそうだと思います。平成30年4月から、障害者の法定雇用率が引き上げになりました。しかしこれは、結局は数字の問題になりかねないですよね。障害者手帳の数を帳尻合わせしているだけ、というか……。

※「障害者の法定雇用率の引き上げ」……平成30年4月から平成33年4月までに、民間企業の法定雇用率(一定以上の割合で障害者を雇用すること)が、2.2%から2.3%に引き上げとなる(国等の機関も同様に0.1%引き上げ)。かつ、障害者を雇用しなければならない民間企業の事業主の範囲が、従業員50人以上から45.5人以上に改定。(参考:厚生労働省公式HP

子ども一人ひとりの個性に会社側が適応できるかどうかは、大きな課題です。給料に見合った働きを求めるのは当然のことですが、一方で「なんとかこの子を輝かせよう、活躍させよう」と一人ひとりをきちんと見てくれる方もたくさんいます。

彼らが自分の人生を歩んでいくためには、「社会側の適応」「彼ら自身の適応」が必要なのかもしれません。そのバランスは難しいですね。

でも、それはうちの学生だけに限ったことではないですよね。

要は私たちだって、仕事をしていて、いっぱい挫折することがあるじゃないですか。1回や2回の挫折なんて、就職から3年以内に必ずやってくるわけですよ。そこで終わるか、それとも、もうちょっと頑張れるか。そうなったときに、反発できるだけのエネルギーを、学生のうちにどれだけ蓄積できたかが大切なんです。

そこで必要なのは、「仲間と声をかけあって、居酒屋に行くことができる力」だと、私たちはよく言っています。

「仲間と声をかけあって、居酒屋に行くことができる力」?

つまり、これは社会性のことです。レストランでもファミレスでもいいんですが、誘って、語り合って、仲を深める象徴が「居酒屋で呑むこと」。なにかつらいことがあっても、声をかけ合える仲間がいて、語り合える信頼関係があること。これって、とても大切ですよね。

私たちもそうやって、励まされたり、励ましたりして、日々を乗り越えてきた経験ってたくさんありますね。

そうですよね。それから「先輩力の連鎖」。つまり、先輩への憧れの連鎖です。

「あんな先輩になりたい」「あの先輩にこうしてもらったから、後輩にやさしくする」というように、好かれて、必要とされて、ときには厳しくされる。教師と学生の上下関係とは別な「先輩・後輩」の関係を好循環させるよう取り組んでいます。

かっこいい先輩や憧れの人。そういう存在って、何歳になっても大切ですね。

その上で、教師が先輩の上に存在できるかどうか。教師、先輩、後輩の中で、よりよい波及効果が生まれていくような人間関係をきちんと築くようにしています。


卒業式の最後には、みんなで肩を組み、『翔和学園』で過ごしてきた日々を想った、学生自作のオリジナルソングを大熱唱

だから先生たちは皆、必死ですよ。うちの教員たちには、「惰性」は許されないですから。学校行事は、ともすればルーティンワークになりがちですよね。でも、去年うまく行ったから今年も、なんてことは絶対にやらない。

常に新しく挑戦することはクレームを生む可能性やプレッシャーも大きいですが、そこで「まあ、見ていてください」と教師が本気で言えるか。そして、全力で行事をやり切れるか。私たち自身が本気でやらずに、子どもをワクワクさせるなんて絶対に無理ですから。だから私はいつも言ってるんですよ。「教育には狂気が必要だ」と。

「子どもは、子どもの要素を使い切ってからしか、大人になってはいけない」という言葉があります。これは、児童精神科医の佐々木正美先生の言葉ですが、私の座右の銘です。

子どもたちとどうやって、この状態に辿り着くか考え出すと、毎年バーっと熱くなるんです。それが最後の卒業式で、肩を組んで大熱唱している子どもたちの姿を目の当たりにすると、「毎年、こんな思いができるなんて、こんな幸せほかにない」と、やっぱり思うんです。

伊藤先生が全力で子どもたちと向き合っているのが伝わってきます。

今でもはっきりと覚えていますが、大学を卒業してから、大工見習いをしていた頃のこと。現場が小学校の真裏だったんです。昼休みになると、子どもたちが校庭で遊びまわっているのが見えて。

それで、なぜだか、釘を打ちながら涙が出てきて。「俺はなんでここで釘を打っているんだろう。何をやってるんだ、俺は。教師になりたいんじゃないのか?」って思って。あの時、教師になることをもう一度夢見て、本当によかった。今ではそう思いますね。

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私たちは、誰もが、得意なことと苦手なことをもっている。

その能力の凸凹を活かすのは、周りの人たち、かつ、自分自身。しかし、「この子ならなんとかなるはず」と根性論で躍起になるのではなく、まずは、子どもを真正面からきちんと観て、「知ろうとすること」が大切なのかもしれません。それは、子どもに限ったことではない。苦手さをとがめるのではなく、視点を変えて、能力の峰を個性として捉えることができたらーー。

これから先あなたは、子どもとどんな風に向き合って生きていきたいですか? さまざまな問題を抱える子どもたちと向き合ってきた伊藤先生の言葉は、きっとあなたの価値観をよりよい方向へつなげてくれることでしょう。

プロフィール
伊藤寛晃
1969年生。中央大学文学部卒業。学生時代に経験した大工見習いを卒業も継続。その後、かねてからの夢だった教師の夢を諦めきれず一念発起。塾講師、サポート校の教師を経て、2002年から『翔和学園』に勤務。2013年秋に学園長に就任。伊藤先生曰く、「イチロー選手がメジャーリーガーになりたかったのと同じくらいに、教師になりたかった」
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書いた人 : 新貝隆史

2011年大学3年の冬から、長野市「旧シンカイ金物店」に暮らしはじめる。生活拠点としながら、蚤の市や演奏会、食事会などを企画。大学卒業後、中学校教諭を経験し、渡米。帰国後はアパレル販売員を経て、フリーライターとして独立。拠点は長野と東京。2018年5月からスタートした「やってこ!シンカイ」のSTORYBOOKを制作中。Huuuu所属。general.PR代表。

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