「結婚とは何の契約だろう?」漫画家・渡辺ペコと考える夫婦の性

「人は誰もが自由に恋愛を楽しんでいい」といえば、それはそうだと誰もが思うはずだ。でも、そこに「結婚をしていても」という前置きがついたらどうだろうか。

結婚をしていても私たちは自由に恋愛をし、そしてセックスを楽しんでもいいのだろうかーー。

渡辺ペコさんの漫画『1122(いいふうふ)』(講談社)は、セックスレスになった結婚生活7年目の仲良し夫婦の「公認不倫」を描く。自分の体をひとりの異性に委ねる結婚本来の「契約」を改変することによって何が起こるのか。夫婦の繊細な心情描写が秀逸な結婚への問いが込められた物語だ。


『1122』1巻P182〜183より(©️渡辺ペコ/講談社)

近年は「契約結婚(事実婚)」をテーマにしたドラマが大ヒットするなど、結婚への問いがコンテンツとしても広く世間に受け入れられている。

結婚への価値観が多様化しているともいえるこの時代に、私たちがそれでもこの道を選択する理由とは何か。時代を鋭敏な感性で切り取る気鋭の漫画家・渡辺ペコさんと考えた。

ちなみに筆者は既婚者で子供もいるのだが、まさに『1122』に描かれる夫婦と同様に、性的パートナーを婚外に持つことを容認し合う、自分たちなりの「契約」を結んでいる。そして、それを実践してもいる。

筆者のエッセイ「愛する自由について」は、そうした考え方に至るまでの約6年間の歩みを振り返ったものであり、これから始まる渡辺ペコさんとの対話の前提にもなっている。ご参考までにお読みいただければ幸いである。


プロフィール
渡辺ペコ(わたなべ・ぺこ)
北海道出身。2004年、「YOUNG YOU COLOURS」にて『透明少女』でデビュー。以後、女性誌を中心に活躍。繊細で鋭い心理描写と絶妙なユーモア、透明感あふれる絵柄で、多くの読者の支持を集める。青年誌初連載となった『にこたま』(講談社)は、三十路手前の同棲カップルの現実を描き、大きな反響を呼んだ。その他の著書に、『ラウンダバウト』『東京膜』(集英社)、『変身ものがたり』(秋田書店)、『ペコセトラプラス』(幻冬舎)、『昨夜のカレー、明日のパン』(原作 木皿泉/幻冬舎)『おふろどうぞ』(太田出版)などがある。

結婚という「型」を考える

根岸

ペコさんの作品、大変興味深く拝見しました。「公認不倫」というと言葉としてはとても刺激的なのですが、愛はあってもセックスができなくなることは夫婦において起こりうる現象だと思いますし、僕自身がそうであったということもあって、作品に登場する夫婦の選択にはとても共感しました。

ペコ

私も根岸さんがエッセイで書いていることは非常に理解できました。まさにこの話をつくるときに考えていたことと共通していたからです。ただ、私自身は婚姻関係を維持していますし、根岸さんのような選択が誰にでもできるわけではないというのも感じていて。

根岸

はい。僕はただ自由に人を愛したいというだけで、たまたま夫婦でその考え方が一致したんです。そこに結婚というものがあるとどうしても不自由になってしまいますし、セックスの問題も含めてそれで本当にいいのかなということを夫婦で考えた結果、僕たちにとって結婚という契約は必要ない、という判断になったんです。

ペコ

私は結婚自体を否定するつもりはないんです。社会的信用を得られるという点では便利だし、家族というかたちに安心感もあるし。自分もその恩恵に預かっていると感じています。でも、それを全面的に信頼しているわけではありません。完璧な制度ってそもそもないと思うので。だから、そのなかで満足した状態を築くには、夫婦のなかでルールを変えることも必要だと思いますし、本来はその家族の構成員がそれぞれに自立した精神でものごとを考えて、それぞれの選択に責任を負っていくことも大切だと思います。でもそれって、まじめにやるとすごく大変なことなんですよね。

根岸

わかります。たとえば、僕は離婚を機に「苗字なし」という選択ができたらいいのになって思うんですね。僕は親の離婚でこれまでの人生で2回苗字が変わったのですが、家族というものに対する困難さをずっと感じてきたというのもあって、どの苗字にも愛着がないんです。苗字があることによって血縁に縛られるとか、あるいはそこに何らかの困難を感じながら生きていかなければならなくなるとか、好きでもない苗字を背負っていかざる得ない人もいるかもしれないということを考えたら、いっそ「苗字なし」もこの社会に対する態度として選択できる世の中であってもいいんじゃないかとは思っていて。でも、それをこの社会のなかで実現するために行動しようとしたら、それはもう大変なことですよね。だったら、まあいろいろ納得できていないところもあるけれど、とりあえず大きな流れに身を委ねておくか、たかが苗字だし……というような気持ちにもなるというか。

ペコ

それでいいんじゃないですかね。私は決められた「型」のなかで、どうにかよく生きる道を考える、というのも大切なことだと思うので。だから結婚だって、その型のなかでどうやったらいい関係を築いていけるかなということを考えていく。セックスレスだけが問題で辛いのなら、セックスを婚外に持ち出すことも、私は対策としてはありなんじゃないかと思います。

「気になるアイツ」をちゃんと見る

根岸

セックスを婚外に持ち出す。まさに『1122』で描かれていることですよね。ただ、僕が思うのは、性欲を解消するためだったら自分で処理することもできるのに、なんで人はセックスを必要とするのかなということなんです。僕は6年間セックスレスだったのですが、セックスがないならないでなんとかなる、という考えにもなっていたことがあります。ただその考えは、実際に新しいパートナーに出会い、そちらでも人間関係を育み始めるようになったら、話が違ってきたのを実感したんですよね。いやいや、セックスすてきじゃないかと……。

ペコ

ははは、わかりますよ。わかります(笑)。ないならないでいけるんじゃないかって思っちゃうんですよね。でも、ひとたびそれをしてしまったら、やっぱりわーっと気持ちが持っていかれてしまう。それだけセックスには力がある。人にとってセックスが必要かどうかということの答えにはならないんですが、無視できない存在だと私も思います。いつだって気になるアイツ、みたいな感じです(笑)。

根岸

本当にそうだと思います。

ペコ

ただ、私はセックスレスの対応策として、婚外にセックスパートナーを持つことだけがすべてじゃないと思っているんです。というのも、最近は女性向け風俗の利用者に話を聞かせてもらっていて。

根岸

女性向け風俗。気になります。

ペコ

私自身は利用したことはないのですが、関係者に話を聞く限りでは救われる女性が少なくないんですよね。そもそもセックスというのは、家庭向けのものがすべてではないし。もし自分が欲望を突きつめたいのなら、家庭内ですべてを満たすのはむずかしいのではないでしょうか。たとえば、家で毎日食べる家族のごはんと、外でものすごく凝ったごはんを食べるのって、食事という意味では同じなんだけど、求めるものは別のところにありますよね。多分セックスも同じなんじゃないかな。家のごはんの日常に凝ったものを求め続けたら、それは相手は疲れるでしょうし、お互いのニーズを一致させるのは結構大変なことだと思う。セックスが好きじゃない、めんどくさいという感覚も尊重されるべきだから。

根岸

なるほど。そうした風俗も安心して利用できるものであればいいのかもしれませんね。

ペコ

はい。だからといって女性向け風俗を全面的に支持しているというわけではありませんし、合う合わないはあると思います。だから、セックスフレンドのような存在を見つけて、そこに欲望をぶつけるのもありうるとは思います。いずれにしろ、自分の本当の欲望を認識するのは怖いしむずかしい。特に女性はその欲望を処理する手段が男性より限られているというのはひとつの現実だと思っています。本当は女性も男性も一緒なのに、非対称だなーと感じることは多いです。それに女性の場合は老いていくと、男性に比べてセックスの機会を失う可能性が高いですよね。本当はセックスがむずかしくなるのではなくて、女性であることを世間から認められる機会が減るというだけなので、そんなことで萎縮せずに、自分の欲望とうまく付き合えるといいなと思います。

根岸

確かに今の社会は、若い女性に絶対的な価値が置かれていて、歳をとった女性に対して風当たりが強いところはあるかもしれませんね。

ペコ

私はそんな外圧に負けなくていいと思います。個人の性欲って社会に決められるものではないから。ひとりの人間として「気になるアイツ」の姿がいつも見えるなら、それをないことにしなくていいと思う。

結婚のなかにすべてを収めるのは困難

根岸

思想家の内田樹さんが『困難な結婚』という著書のなかで、結婚というのは社会的な契約であり、安全保障であり、人間的成熟を目指すためのものであるということを書かれていました。だから結婚をしている人は安心したらいいし、結婚していない人はするといいよと。僕自身はこれについて、結婚するということを選択した場合においては有効な考え方であると感じましたし、感銘を受けたところもありました。ですが、自分がセックスレスだったというのもあって、ほかの異性とは恋もしないし、セックスもしないという「契約」についてはどう考えたらいいのかな、というのが実はもやっとしたんです。

ペコ

そこは性の問題も含めてほしいですよね。無視できない要素だから。

ペコ

結婚観という点でいうと、私は社会学者の上野千鶴子さんの考え方がしっくりきました。上野さんは夫婦のセックスについて、一人の人間をずっと満足させられる自信はないし、自分もずっと満足できるかはわからないということを仰っています。それは誠実な姿だと思うんです。たとえば、30歳で結婚してその後仮に50年間一緒にいるとして、半世紀の間、ひとりの相手にだけ心も体も開くっていうのは結構な契約じゃないかと思うんです。ハードだと思う。それに、夫婦って結局は別々の人間なんですよね。それぞれがちゃんと自分の人生を生きるものなのに、そこにセックスの一生モノの縛りを含むというのは、やっぱりとても結婚って困難だなあと思うんです。

渡辺ペコはなぜ「結婚」を描くのか?

根岸

ペコさんの『1122』という作品は、結婚ってどうなの?ということを世に問うものであると同時に、私たちのセックスってこれでいいんだっけ? と、男女の性のあり方を問うものでもあると感じました。人によっていろんな考え方のあるむずかしいテーマですが、そこを描きたいと思ったのはなぜですか?

ペコ

私はセックスのことも結婚のことも気になるんですが、本質的には人と人が一緒に生きていくってどういうことなのかを知りたいんです。それを考える上で、結婚の制度はとても特徴的だし、考えるヒントがたくさんある。だから題材にしています。たとえば恋愛って、物語のなかでは恋に落ちたら人は何をしても仕方がないじゃないか、だって恋なんだから、っていう治外法権に思えてしまう。だけど、それを描くことは私には向いていなくて。それよりもむしろ、制度という何でもありではない「型」のなかで、どうあろうとするのかという姿の方が私は気になる。その何でもありじゃない世界では、みんなお互いに何かを諦めたりとか、甘んじたりとか、いろんなことをやりながら、家族というかたちに向き合っている。それがうまくできない人もいるけれど、だとすればそれはどうしてそうなるのか、ということも「型」を通じて考えてみたいんです。私は結婚をしていて子供もいます。家族というシステムは今の自分にはとても合っていてありがたいんです。ただ、このふわっとした幸せに巻かれて結婚=OK、というのは違うよなとはいつも思っています。だから、私は「型」のなかで矛盾や妥協も抱えて生きる人たちに興味があるんです。

区切り線

結婚は渡辺ペコさんの言う通り「型」であると思う。「型」には「型」の美しさがあるし、「型」があるからこそ安心して生きられる人もいるだろう。「型」の幸せを追求することで見えてくる世界もきっとあるはずだ。

だから、そこそこの困難には目をつむりながらも、「型」のなかでどうにか機嫌よく生きる方法を人は模索するのかもしれない。自分自身もかつてはそうだった。

でも、私たちはその「型」だけがすべてではないことも本当は知っている。「型」の枠組みを変えたっていいし、「型」の外に出たっていいこともわかっている。だとすれば、これは「選択」なのだ。自分の人生に「型」が必要ならそれを求めるし、そうでなければ「型」から外れる。ただそれだけのこと。

自分がどう生きたいかを考えたときに、自ずと何を選択するのかが決まっていくのだとして、さて、皆さんの人生には結婚という「型」は必要だろうか? それとも必要ではないだろうか?

書いた人 : 根岸 達朗

ライター/発酵おじさん/欲望と妄想(フリーペーパー)

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