「心を殺して生きる女性を救いたい」バングラデシュに人生を捧げる元女優・渡辺麻恵

キラキラ雑貨で仕事をつくり、「愛」を与える人生

1億5千万の人々が日本の半分以下の面積の国土に生活しているバングラデシュ人民共和国。貧困によって本来あるべき機会や権利が与えられず、抑圧された生活を送っている人も多いといわれるこの国では、世界中の国際機関やNGOが、現地のさまざまな社会課題を解決すべく、草の根の支援活動を行っている。

中でも社会的に弱い立場にある女性の地位向上や就労支援は大きな課題であり、今回ご紹介する渡辺麻恵さんは、そうしたバングラデシュ社会の現状を少しでも変えていくために立ち上がった女性のひとりだ。

渡辺さんの目的は、貧困にあえぎながら子どもを育てるシングルマザーや困難な状況にある妊娠した女性に「仕事」を提供し、彼女たちの経済的・精神的自立を支援していくこと。バングラデシュの中北部に位置するマイメイシン州ハルアガットで、雑貨工房「ハンディクラフトファクトリー」を立ち上げ、現地の女性たちとともに雑貨づくりに奔走している。


「ハンディクラフトファクトリー」で、現地の女性たちに雑貨づくりを教える渡辺さん(写真左)

現在一児の母でもある渡辺さんが、結婚を機に同国へ移住したのは2012年。かつては日本で芸能活動をしていたが、仕事のトラブルなどから「心を壊した」こともあったそう。自らが感じてきた「痛み」を「愛」に代えて、異国の地に捧げる覚悟を決めた彼女の人生に迫った。

プロフィール
渡辺麻恵(わたなべ・まえ)
1980年、東京生まれ。10代のころからタレント活動や舞台などで活躍。2012年、バングラデシュでストリートチルドレンの支援活動を行うNGO「エクマットラ」の創立メンバー渡辺大樹さんと結婚。同年4月に同国へ。2016年、ラインストーンで飾り付けをしたペンやビーズのネックレスなどの雑貨類を現地の女性たちと一緒につくる工房「エクマットラ ハンディクラフトファクトリー」を設立。子どもを持つ貧困層の女性たちの支援活動に努めている。

▼ブログ
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かわいそうだから買って、なんて言いたくない

工房でつくっている雑貨が現地で人気を集めていると聞きました。どのような商品なのか教えてください。

「一番人気があるのは、『ULKA(ウルカ)』というシリーズで展開しているデコレーションペンです。『ULKA』はベンガル語で“流れ星”を意味します。色とりどりのラインストーンで装飾しているのが特徴で、ダッカのレストランやインテリアショップ、フリーマーケット、ウェブサイトなどで販売しています。このほかにも、キャンドルケースやペンスタンドなどさまざまな商品を受注生産で展開中です」

どれも精巧な細工が施されていますね。ペンの販売価格はどのくらいですか?

「日本で販売する際は一本1000円です。現地では輸送費がかからないのでもう少し安くできていますが、バングラデシュの一般層は一日数百円で生活している人がほとんどなので、ターゲットとしているのは富裕層です」

すべて現地の貧困層にある女性たちが手づくりしているんですよね。

「そうです。このペンはこういう人たちがつくっていて、売上は彼女たちにこうやって入って、そのおかげで彼女の子どもたちは学校に通えています、というような説明書きと一緒に販売しています」

女性たちの困難な状況を商品を通じて伝えようとしていると。

「はい。でも、私としては必ずしもそれを最初に知ってもらいたいと考えているわけではありません。これは私の美学でもあるのですが、あまり悲惨さを出してものを売りたくないんです。まずは商品として魅力的であることを目指したい。

もちろん、支援の気持ちで購入していただくことは有り難いですし、結果として活動を知ってもらうきっかけになればよいなとは思いますが、ちゃんとよいものをつくることができなければ、仕事として持続性のあるものにはなっていかないと考えているからです。

この国の富裕層は、貧困の現状にあまり関心を持っていません。だからこそ、そういう人たちに商品を入り口にしてメッセージを届けていきたい。富裕層をターゲットにしているのは、彼らの社会的な影響力にも期待しているからです」

商品の「質」にこだわれば、それなりに技術的な訓練も必要になってくると思いますが、そのあたりの指導も渡辺さんが?

「はい。彼女たちの技術向上のために、すごく厳しく教えています。手先の器用さにバラつきはあるのですが、工房を立ち上げて半年以上が経った今では、スタッフの全員がちゃんと自分の仕事をこなせるようになっています。

読み書きも計算もできない彼女たちが、子どもを食べさせるために、学校に通わせるために毎日がんばっている。もしかしたら日本の女の子がやっても根を上げてしまうかもしれないようなことを、根気良くやっているんです」

「仕事ができるようになっていくことは、彼女たちの誇りにもなっていますし、実際にそうやってみんなどんどん経済的にも精神的にも自立に向かっています。困難な状況のなかで、苦しくても我慢するしかなかった女性たちが、自分でもできるんだ、やればできるんだ、という風に思ってもらえるような仕事をつくっていくことが、私の役目だと思っています」

外国人の私だから「できることがある」

渡辺さんはかつて日本で芸能活動をされていたそうですね。

「芸能活動なんて言っていいのかわからないのですが、事務所に所属して、当時はグラビアなどもやっていました。もともと劇団に所属して舞台の仕事はしていたのですが、本格的に芸能事務所と契約したのは22歳のときです。

家庭が大変な状況だったので、私がお金を稼がないといけないということもあって始めたのですが、毎日セクハラ、パワハラの嵐で……。あの頃は本当に苦しくてつらかったです。やめたいと言ったら、契約違反で何千万円払えだとか、家族全員を自殺に追い込むとかの脅迫も受けて……」

誰かに相談しなかったんですか?

「できませんでした。今まで優しい人たちに囲まれて生きてきたので、その人たちに心配をかけたくないという気持ちが強くて……。あの頃は、毎朝起きるたびに世界が終わればいいのにって思っていました。電車に飛び込んで自殺することも何度も考えました。

私が事務所の悪事を暴くような遺書を残して死んだらマスコミに大きく取り上げてもらえるかもしれない、そうしたら私以外に苦しんでいた仲間も救われるかもしれない、とか……最悪のケースまでいろんなことを考えて、あの頃は、本当に心がぐちゃぐちゃに壊れていました」

そんな時代があったのですね。

「はい。でもあるとき、ほかの所属タレントが社長と裁判になったタイミングで、その裁判に関わっている弁護士さんが『麻恵さんも同じ被害にあっていませんか?』と声をかけてくれて……そのとき、私はやっとすべてを話すことができたんです。

契約解除にはさらに時間がかかったのですが、なんとか事務所をやめることができて自由になれたのは、24歳の頃です。心を殺して生きていた、私にとって長くてつらかった時代がそこで終わりました。

環境によって、社会や男性から抑圧されてきたバングラデシュの女性たちを見ていると、昔の自分の姿にも重なるような気がして……。私の場合は若さゆえに、自ら危険に飛び込んでしまったという自業自得な面があるのですが、彼女たちは何も悪いことをしていないのに、ただ女性に生まれたというだけで、辛い思いをしている

もちろん彼女たちとは境遇が違うし、外国人の私に彼女たちの本当の苦しみを知ることはできません。でも、私が自分の世界の外側にいた人に救われたように、外国人の私だからできることもきっとあるはず。そう信じて、今こうしてこの活動に向き合っているんです」

困難な状況にある妊婦たちのために

では、どうしてそこからバングラデシュに?

「しばらく人前に出たくなくてアルバイト生活をしていたんですが、たまたま日本在住のバングラデシュ人とご縁ができて、その方のコーディネートでバングラデシュのことを学ぶツアーに参加させてもらえることになったんです。当時は、恐ろしい世界での傷が癒えずに遠くへ行きたいという気持ちが強かったですし、この機会に世界に飛び出してみようと思って。

そのときに現地でNGOをやっている今の夫と出会いました。彼はバングラデシュで路上生活の子どもたちを支援する活動を15年近くもやっている人で、私は彼から本当にたくさんのことを教えてもらいました。尊敬している彼とならこの土地でも生きていけると思い、2012年に移住したんです」


ストリートチルドレンの支援活動をするNGO「エクマットラ」に関わる人たち。

住んでみてどうでしたか?

「覚悟をして行きましたが、旅行で行くのと生活をするのとでは、やはり全然違いましたね……。ものすごく暑いし、汚いし、裸の子どもが路上で物乞いをしているし。10歳にも満たない女の子が数十円でその日食べるために自分の体を売っている現実なども知って、すごくショックでした……。

夫はそういう子どもたちの支援施設を運営していて、最初の2〜3年は私も現地の公用語であるベンガル語の勉強をしながら彼の仕事を手伝っていました。でもそれにやりがいを感じつつも、もともと自分に甘い私はあまりの仕事量と現実の厳しさに途方にくれてしまって。これをずっと続けていくなんて自分にはできないかもしれないと……」

でも、今はご自身でも工房を立ち上げて精力的に支援活動をされています。何か転機となるような出来事があったのでしょうか?

「私のなかで大きな変化が生まれたのは妊娠です。子どもがこの世に生まれてくることの奇跡、命を育てていくことの責任をあらためて感じて、今自分がいる立場を考え直したんです。

恥ずかしながら、それまではエクマットラの子どもたちに対しても、どこか『優しい隣のお姉さん』的な立ち位置で、夫の仕事を手伝っているという意識が強かったかもしれません。夫をただ手伝うのではなく、私自身がこの国でできることを全力でやっていこう、子どもたちに対しても優しいだけのお姉さんではなく、すべて受け止めてあげられるような強いお母さんになろう。そう思ったんです」

「それと同時に、普通に妊娠生活を送るだけでも大変なバングラの暮らしで、路上生活をしている妊婦さんや、子どもを育てている母親ってどれだけ大変なんだろうということも考えるようになって」

妊娠がきっかけで視野が広がっていったんですね。

この国の妊婦さんや母親たちのために、自分にできることはないかと思って、行き倒れているような妊婦さんが保護されている施設を訪ねたんです。そこにはレイプされて妊娠したけれど家がなく路上生活をしていた妊婦さんもいました。

そんな彼女たちの目を見たら、心を殺して生きてきたその悲しみが、どわーっと自分のなかに入ってきて、いてもたってもいられなくなって……」

「自分のすごく辛かった時期とシンクロしたんでしょうね。今の自分だったらきっと何かできるはずだと思って、彼女たちに声をかけるかたちでキラキラペンをつくる小さなクラスを始めたんです」

「選択肢」のない女性たち

女性たちはそうした声かけにすぐに応じてくれましたか?

「最初にクラスを始めたときは、みんな目も合わせてくれませんでした。誰も話してくれない。クラスで私だけがひとりしゃべっているような感じでした。みんな暗くて、絶望していました。

そこにいるのは、ひどい暴力を受けて、望まない妊娠をしている人がほとんどです。みんな産みたくない。死にたい。でも、お金がないから堕胎手術なんて受けられない。産むしかないような状況に置かれた人ばかりです。

でも、私はそんな彼女たちになんとか心を開いてほしいと思って、妊娠生活にいいと思われる体操を一緒にやってみようと声をかけたり、作業場にヒーリングミュージックを流したり、一緒に映画を見る時間をつくったり、ペンづくりの技術を教えるかたわらにもいろいろなことを実践して、悪気があって近づいているんじゃないということをわかってもらうように務めました」


現地の女性たちとイス取りゲームをして交流する渡辺さん。

「日本という豊かな国からやってきて『お前なんかに私の気持ちがわかるわけがない』と何度も言われました。でも違う立場だからこそできることもあるよね、違う視点に立っているからこそ見えるものもあるよねって、自分にも苦しかった時代があったことを正直に伝えながら、どうにか希望を持ってもらえるようにたくさんの話をしてきました。

それから数ヶ月経って、私が日本に帰って出産をする頃には、彼女たちとも『お互いに元気な子を産もうね』なんて言い合えるようにもなって」

すごい。大きな心の変化ですよね。

「笑顔も生まれて、本当にいい雰囲気ができたなあと思っていました。でも、私が日本で出産を終えて、生後3か月の子どもを抱いて彼女たちのいるセンターに戻ってきたら、生まれてるはずの妊婦さんたちの子どもがいないんです。聞けば、生まれてすぐに里子に出したと」


日本で出産を終えて、バングラデシュに戻ってきたばかりの渡辺さん。

え? 一緒に元気な子どもを産もうと約束していたはずが……。

「センターで子どもを産んだら、女性たちは出ていかなければならないのですが、路上生活をしていた彼女たちにはもともと家がなくて、身寄りもありません。帰るところなんてなかったんです。

仕事を始めようにも、ただでさえ仕事がないバングラで、赤ちゃんを抱えた女性が働ける場所なんてありません。路上生活に戻れば、赤ちゃんをまともに食べさせることはできませんから、結局彼女たちは子どもを泣く泣く里子に出すしかなかった。選択肢なんて、そもそもなかったんです。母親としての気持ちを芽生えさせていた彼女たちにとって、それがどれほどつらいことだったか……」

ペンづくりのクラスでの報酬ではまかないきれていなかったということですか?

「はい。そのときはまだ、女性がひとりで子育てをしていくのに十分な額を支払えていたわけではありませんでした。私はクラスを始めて、少しは彼女たちの役に立てているような気がしていました。でもそれは根本的な問題の解決にはなっていなかったんです。

もっともっと社会に働きかけないといけない。そのためには、彼女たちが子どもを抱えながらでも最低限生きていけるだけの収入をまずはこの活動から、継続的に生み出していかなければいけない。そう思って、昨夏にハンディクラフトファクトリーを立ち上げて、本格的にこの雑貨づくりの事業を始めることにしたんです」

幸せとは「心が自由でいること」


「ハンディクラフトファクトリー」で働く女性たち

渡辺さんはどうしてそこまでバングラデシュの人に愛を注ぎ続けるのでしょうか?

「私の心を自由にしてくれたのが、バングラデシュという国だったからです。ここは日本の暮らしに比べれば不自由も多いですし、団体を運営しながらの生活は常に時間もお金もなくて、正直つらいと感じることもあります。

でも私は今、やりたいことをやれているから、心が自由で幸せです。幸せの定義は人それぞれですが、心を殺して生きていた時代がある私にとっては、今こうして心が自由でいられることは奇跡であり喜びです。

それにこの国は、生きる力にもあふれています。目には見えないけれど、内側に心のきらめきを持った人がたくさんいます。私は昔からキラキラしたものが好きで、パリのエッフェル塔やベルサイユ宮殿に憧れるような少女でした。そういう世界に憧れ続けてきた私が、見た目にはまるで対極にあるようなこの国に住んで、人生をここで終えたいとまで思っているのは、この国の人々の生きる力と、そこにあるきらめきに引き寄せられたからです」

「もしかしたら、日本でもそのきらめきを感じようと思えば感じられたのかもしれません。でも、私は一度変な世界に迷い込んだせいもあって、すごくシンプルに生きているバングラデシュの人たちからそれを教えてもらうことになりました。

日本のことは自分が生まれ育った国としてとても大切に思っていますが、ご縁があってこの国に出会い、新しい生き方を教えてもらったからには、この国の人たちにやっぱり恩返しをしたい」

覚悟を決めているんですね。

「はい。いつか私も夫も、今その活動を支えてくれている人たちもみんな死んでいってしまいます。だからこそ、私たちがいなくなってもまわる仕組みをなんとか残りの人生でつくっていきたい。

誰でもまじめに努力をすれば、この仕事ができるということは初代のメンバーが体現してくれました。心を殺して生きている人たちや、女に生まれたことで声を上げられずに虐げられてきた人たちが、この社会で自分らしく生きていくために、私はこの人生を捧げていくつもりです」

ハンディクラフトファクトリー
  • 内容
    困難な状況にある女性たちが、アーティストとして目覚め、自分の仕事を愛し、クラフト製作を通じて自分の人生を誇ることができるようにする。子ども達のドロップアウトを防ぎ、学び続けることができる新たなサイクルをつくる。

書いた人 : 根岸 達朗

フリーライター。発酵おじさん。ニュータウンで子育てしながら、毎日ぬか床ひっくり返してます/negishi.tatsuro@gmail.com

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