移住先は見ず知らずの土地。26歳の編集者が見つけた「地域の編集」

結婚や出産が身近になったり、次のステージを目指そうと転職や独立を考えたり。20代後半になるとライフイベントに関わる悩みがつきものです。

「任期終了後の3年後は28歳。そこから軌道修正しても、いかようにも人生動かせるなと思って」。

そう話すのは2017年4月より北海道下川町に移住し、地域おこし協力隊となった立花実咲(たちばな・みさき)さんです。

※地域おこし協力隊
2009年総務省が主体となり全国の地方自治体の地域活動を活性化させるためにスタートした制度。地域の風土など興味を持った地域に応募、選考を経て採用。1年から3年の任期で自治体の嘱託職員として活動し、活動内容は各自治体に委ねられる。

立花さんは元々、ウェブメディア「灯台もと暮らし」を運営する株式会社Waseiに所属し、東京を拠点に地方を飛び回っていた編集者。

現在もWaseiの編集業務に携わりながら、下川町の地域おこし協力隊として、移住誘致イベントの企画・運営や、全国各地から訪れる視察者への対応など幅広い業務をこなしています。

立花さんが協力隊になったきっかけは、Waseiのプロジェクトの一環でした。

「町の魅力発信を、もとくら編集部と一緒にしたい」と、下川町のタウンプロモーション推進部から相談がきたのが2016年の秋ごろ。北海道函館市出身でもあるWasei代表の鳥井弘文さんが興味を持ち、視察を経て「下川町特集」を組むことが決まりました。


灯台もと暮らし(以下:もとくら)」は株式会社Waseiが運営する”これからの暮らしを考える”をテーマとしたウェブメディア。現在5名のライター・編集者で運営。毎回地域を絞って特集を組み、10数記事からなるマガジン形式で展開している。立花さんはメディア立ち上げ当時の2014年から編集者兼ライターとして携わっている

普段の特集では、長くて1週間ほど編集部員が滞在して取材を行います。ところが、下川町の担当者から「短期間ではなく長期的に発信をしたい」という提案がありました。

代表の鳥井さんが地域に暮らしながら町をPRする仕事に興味があるかメンバーに打診したところ、手を挙げたのが立花さんでした。しかし彼女は、協力隊になるまで下川町はおろか、北海道にも来たことがなかったといいます。

東京を拠点に全国各地を飛び回る編集者の仕事も魅力的に思えますが、どうして地縁のない土地に移住し、地域おこし協力隊として地域へ入ろうと決めたのでしょうか。

思い切った決断にも感じられる下川町への移住の経緯、そして、いま実現したいことを聞きました。

きっかけは、場をつくる感動。発信者からプレイヤーに

北海道北西部、旭川空港から車で約2時間の場所に位置する下川町。面積の約9割を占めるのは森林です。その大切な資源を生かした林業と農業が、基幹産業として町を支えます。

ナカノ

いきなり地方に社員を1人送りこむとは思い切った発想ですが、自ら名乗り出た立花さんも勇気がありますよね。

立花

Waseiが下川町のお話をいただいたころ、私は東京じゃない地域で働くことに興味を持ち始めていました。ものすごく有名でも観光地でもない、都市から離れた場所で、人が集まるコアな場がつくれたらおもしろそうだなって。そもそもは、2016年の夏に富山県南砺市利賀地域に遊びに行ったことがきっかけでした。利賀地域は文化振興に力を入れていて、毎年夏に2週間にわたって「利賀フェスティバル」という国際演劇祭を開いているんです。来場者数は2週間で延べ7000人。国内外から足を運ぶ人がいるファンの多いイベントなのですが、実はそこに行くまでがなかなか大変で。電車が3時間に1本しかなかったり、会場までは蛇行する山道を40分くらいバスで登って行ったり、アクセスがいいとはいえない人口600名弱の小さな地域です。そこに不便さを乗り越えて、いろいろな国から多くの人が参加する。そういうコンテンツの強さに感動して、私も地域で人を動かすようなものを生み出したいと思うようになりました。

ナカノ

下川町の話は、そうしたことを考えていた立花さんにとって絶妙なタイミングでやってきた話でもあったんですね。

立花

はい。だから極端な話ですが下川町以外の、都市圏からすごーく離れた地域から同じような声がかかっていたら、そちらへ移住していたかもしれません(笑)。


立花さんと一緒に働く下川町産業活性化支援機構のメンバー。「もとくら」編集部に企画を持ち込んだのは長田さん(右端)

ナカノ

でも、協力隊としての任期は3年ですよね。見知らぬ地域に3年というのはなかなか覚悟がいることではないですか?

立花

いえ、むしろ3年くらいは必要だと感じます。というのも、私にはその土地を舞台とするプレイヤーとして何かを生み出していきたいという思いがありますから。今も続けている編集やライターの仕事は、ものづくりやまちづくりなど、何らかの行動を起こした人がいて、初めて成り立つ仕事ですよね。拡声器的に実践者の声を拾って広めるお手伝いはできるけど、0から何かを生み出すというものじゃない。もちろん広く伝える仕事も楽しいし、好きです。一方、自分で何かを生み出してみたいという思いもだんだん募っていったので、それが今回の移住につながりました。プレイヤーとして0から何かを生み出したいと思ったときには、時間をかけることが必要だと感じます。

「普通なんて、ない」と体感した大学時代


立花さんの下川町の第一印象は「不思議な街」。下川町は明治34年(1901年)に岐阜県から北上した開拓者によって拓かれた街。人が住むようになって100年ほどの歴史が新しい街なのです

ナカノ

「もとくら」は「これからの暮らしを考えるきっかけを与えたい」というテーマで運営していますよね。今まで沢山の地域を取材したと思いますが、立花さん自身は元々暮らしや地域に興味があったのでしょうか?

立花

そうですね。子どもの頃から「すごい変わってるね」と言われて育ったので、常に人と違うことをしなきゃという脅迫観念のようなものを持っていて。

ナカノ

脅迫観念というのはなかなか……。

立花

変わったことをすると人に褒められて認められるんだ、と思い込んでいるようなところがありました。でもその一方で、わたしは自分自身が「変わっている」とは思ったことはなくて。だから、変わっていない状態、普通ってなんだろうということも考えていました。日常や暮らしに興味を持つようになったのは、その「普通ってなんだろう」を考えるためだったのかもしれません。

ナカノ

では、立花さんにとって普通の「暮らし」や「日常」ってどういうものなのでしょうか?


出勤は自転車で。颯爽と走り抜ける姿がたくましい。ピンク色の自転車は地元の方から借りたもの

立花

結論としては、「普通なんてない」というところに落ち着いたんですけど(笑)。それに気付かせてくれたのは、大学時代の旅でしたね。そのとき私は、バックパッカーとして「普通の暮らしを知る」とテーマを掲げて、8ヶ月で世界15カ国を巡りました。「カウチサーフィン」というウェブサービスを使いながら、現地の方の自宅に宿泊させていただくスタイルでずっと旅をしていました。モロッコで泊まらせてもらった家族の家では、1週間くらいお風呂に入らないことが当たり前。ヨーロッパ諸国は先進国だと言われているけど、電車の遅延が頻繁に起きても人々は何食わぬ顔で待っている。そういう沢山の「普通」に触れました。それは海外に限ったことではなくて、例えばもとくら編集部のあるメンバーの家庭では、必ず食事がお盆に乗って出てくるらしいのですが、我が家では一度もそんな経験はありません。生活習慣の違いは日本にも存在しているわけで、「自分にとっての当たり前は、誰かにとっての当たり前じゃない」という考えは、この旅から教えてもらったといってもいいかもしれません。

ナカノ

そうした大学での旅の経験を経て、編集者という道を選んだのはなぜですか?

立花

選んだというより、気付いたら編集者になっていた、という方が正しいかもしれません。昔から物語を書くことが好きだったので絵本を作ったり、自分でウェブサイトを作って日記を書いたりしていました。とはいえ、書くことでお金を稼ぐということは考えていなかったんですけどね。

ナカノ

でも、書くことは伝えるための手段で、それが編集というわけではないですよね。立花さん的な編集ってどういうものなんですか?

立花

「言語化できないものや、まだ言語化されていないものの価値を掘り起こして、広く浸透させること」なのかな。最近、そもそも「編集」ってなんだろうともやもや考えていて……。なかなか難しいですね。

ナカノ

東京で働いていた時と今とでは、「編集」することの変化は感じましたか?

立花

生活環境と仕事がリンクしたことで、触れる情報の生々しさを感じるようになりました。東京にいた時は、いろんな地域を回って共感したことや勉強したことを、日常生活で活かそうとは思わなかったんです。例えば教育や場作りの話を聞いて「いい仕組みだな」「素敵な取り組みだな」と感じても、じゃあ自分が住んでいる杉並区で実践してみよう!とは思わなくて。でも下川に来てからは「この取組みは下川でもできるんじゃないか」と真似したり、自分の生活にも取り入れたりという意識になりました。日々触れるものは、なんでも仕事の種になっていますね。それはとても編集者としては新鮮な感覚なんです。でもきっと、私はこの状況にもいつかは慣れてきてしまうと思います。来年になったら下川の冬の寒さにも雪の多さにも慣れてしまうはず。だから、ひとつひとつの新鮮な気持ちを取り逃がさないように、目についたことをなるべく多くTwitterでつぶやいたり、noteで綴ったりしています。

今、この街でやりたいこと

利賀村で受けた感動から、下川町に来た当初はアートフェスを開催したいと思っていた立花さん。
しかし、移住後に感じた町の歴史や今の下川町が目指している姿や取り組みなどを知るうち、土地の物語を軸に据えたアートフェスの企画は、本当に地域のためになるのか熟考する必要があると感じたといいます。

その後、人を呼ぶための「場作り」は、別の形で進むこととなります。

立花

今、協力隊の業務以外でライフワークとして考えていることが2つあって。ひとつはゲストハウスの立ち上げです。


ゲストハウスを一緒に運営する大西遼佑さん

立花

私と同じタイミングで移住してきた遼佑くんと「ゲストハウスやりたいよね!」と話が盛り上がって。その話を地域の方にちらっとしたら、下川町の方々がすぐに動いて手厚く応援してくださり、想像以上の速さで計画が進んでいるんです。

ナカノ

それは実現させなきゃという気になりますね。

立花

正直、下川町に来た時はゲストハウスをやることになるなんて思ってもみなくて(笑)。でも、遼佑くんとよくよく話をしてみると、お互いにゲストハウスを通じて実現したいことがあったんです。バックカントリーのガイドをやりたいと思って移住してきた遼佑くんは、下川町を新たなウインタースポーツの町にしたいという思いを持っていて。私が達成したいのは、利賀村のように遠くからでも人が来る流れを生むこと。下川町の自然を活かすウインタースポーツは、きっとそのためのフックの役割を果たしてくれると思います。

ナカノ

もうひとつのライフワークはなんでしょう?

立花

下川町での暮らしや歴史をまとめた絵本をつくることです。私は勝手に「ムーミン谷プロジェクト」と呼んでいて。フィンランドの暮らしをムーミンというフィルターを通じて表現するように、キャラクターを介して下川という土地を伝えるイメージです。絵本の文章は私が書こうと思っているんですが、ゆくゆくは町内でイラストが描ける人を見つけたいと思っています。

地域を「編集」することは、当たり前の積み重ね


立花さんが紹介してくれたレストラン「モレーナ」。世界を旅してきたオーナー手作りのお店で、つい人に話したくなるストーリーが詰まった場所でした。魅力が人づてに広がる「口コミ」も、「編集」のひとつの形ではないでしょうか

ナカノ

先ほどの2つのライフワークにも関連しますが、地域での「編集」の役割についてはどう考えていますか?

立花

どの地域にも共通すると思いますが、地道にコツコツ積み上げていくことが大切だと思います。下川町はプレゼンがとても上手な町なんです。だから国や様々な団体から補助金を獲得する機会が多く、町に潤いをもたらしています。しかし一方で、私は「自分たちで財源を生み出したい」という思いも強く持っています。外を頼って派手なことをすると注目を浴びますが、一過性のにぎやかしで終わってしまう。町の中では当たり前で地味に見えることでも、ちゃんと拾い上げて形にしていくことが必要だと感じます。

ナカノ

立花さんのように、外から来たことで気づく視点もありますよね。

立花

私が今取り組んでいることは、下川町に流れている「歴史の編集」なのかなと思います。絵本づくりは過去から現在までの編集です。1901年に開拓されて115年ほどの歴史を持つ下川町ですが、その間、脈々と続いてきたものはきっと町中に点在していて。北海道に来て驚いたのは、道内生まれの方の口から「北海道は歴史が浅い」と聞くことが想像以上に多いことです。町の人のなかには歴史の浅さに対してコンプレックスとまではいかなくても、「新しい地域だからこそ何かを生み出さなくちゃ」という意識を持っている方もいらっしゃいます。でも新しいからこそ、今を生きる人が歴史の担い手であるという実感を得やすいですし、下川に流れる時間を「語り継げる伝承」のようにできたら、もっと地域への愛着が増すのでは、と思ったんです。一方で、これから下川町を訪れる人を受け入れるゲストハウスは、現在から未来にかけて町の文化をつくっていくツールですね。

ナカノ

今後の展開が楽しみです!

立花

ありがとうございます。ゲストハウスができたら遊びに来てくださいね。

区切り線

最後に、立花さんに少し先の未来、協力隊の任期を終えてからのことを尋ねてみました。

「わからないんですよね。興味が湧いたら、またいろんなところに行きたくなってしまうかもしれません。好きな演劇の情報で溢れている東京は好きだし、地元である静岡に還元したい気持ちもあります。もちろん下川町を拠点のひとつとして考えられたらと。いずれにせよ、いろんな土地を柔軟に行き来できたらいいですよね」

時には思い切って飛び込む大胆さも大切なのだと、立花さんとの話を通じて感じました。
自らの活動の場について、私たちは難しく考え過ぎてしまいがちなのかもしれません。実現したい目的さえ明確になれば、身を置く場所は必ずしも最重要項目ではないのですから。

書いた人 : ナカノヒトミ

長野と東京を行き来したり、全国各地を飛び回ったりしています。
休日は日光を浴びずに、漫画喫茶に行きたい。

写真 : 藤原 慶

21歳からカメラとバックパックを持って日本放浪の旅に出る。
全国各地を周りながら撮った写真を路上で販売し生き延びる生活を続け、沢山の出逢いと経験を積む。
現在は東京に落ち着きカメラマンとして活動中。

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