「悪意なき偏見」にまみれたドヤ街・山谷。大衆酒場から生まれた再生の狼煙

かつて東京にあった「山谷(さんや)」という地名を知っているだろうか。

1962年に施行された住居表示の実施によって、地図上から消えてしまったそのエリアは、現在の台東区清川、日本堤、橋場と、荒川区南千住にまたがって存在していた。

花街である吉原に隣接し、江戸時代には木賃宿(客が自炊し、燃料代のみ支払えば宿泊できる宿)が多かった背景から、戦後復興期以降は日雇い労働者の集まる簡易宿泊所街(通称:ドヤ街)となった。今、私たちが目にしている東京の高層ビルの多くは、ここで暮らした人々の労働力に支えられ、建設されたのだ。

その一方で山谷では、貧困問題や労働問題が浮き彫りになりやすく、1960年代には数千人規模の暴動も起こっている。

現在はこの街に生きた元労働者も高齢化。簡易宿泊所で暮らす人々の約9割は生活保護受給者といわれている。漫画『あしたのジョー』の舞台としても知られる賑わいのあった通りは、今やシャッター街と化した。

そんな商店街の入り口付近に、大衆居酒屋「山谷酒場」がオープンしたのは昨秋のこと。

西調布で喫茶店を営んでいた酒井秀之さんが、クラウドファンディングで50万円以上の支援金を集め、オープンさせたのだ。

喫茶店のマスターが、なぜ大衆酒場を開いたのか。しかも、高齢化や貧困など、日本社会が抱える問題が今なお内在するこのエリアで、あえて消えた地名を冠してーー。

酒井さんは話す。
「山谷という街の再生に可能性を感じたんです。だからこそ、この街の暗い歴史も含めて伝えていきたい。まずは『知ってもらうこと』が大事だと思う」

私たちは日頃から「知らないこと」による、たくさんの「悪意なき偏見」を持ち合わせている。山谷もまた、そうした「悪意なき偏見」にまみれた街なのかもしれない。

酒井さんはこの街の歴史とどのように向き合い、おもしろくしていこうとしているのか。酒井さんにとっての「街の再生」、その入口としての店づくりについて話を聞いた。

資本が介入しにくいエリアだからこそのおもしろさ

こちらへ伺う前に商店街を歩いてみたのですが、すみません、お世辞にも賑わっているとは言えない印象でした。今、あえてここにお店を出されたのはどうしてですか?


「山谷酒場」オーナーの酒井秀之さん

街の再生に興味があるからです。私の趣味は街歩きなんですが、例えば東京の綾瀬なんかも、街歩きを始めた15年くらい前に訪れたときは、まだ街全体が灰色にくすんで見えた。

でも、最近になってテレビ番組で特集が組まれていたのを見て「やっぱり街は変われるんだ」って思ったんです。そういうところはこれまでは、決して取り上げられない方の「東京のローカル」でしたから。

変わったというのは、マンションが建って、住む人が増えて、おしゃれなお店ができて……ということですか?

そうですね。行政や企業などから資本が入って再開発されたことで、人口が増えて、街が変わった。でもね、山谷はそうならないし、なれないと思っているんです。

ブランディング的な視点もあってか、山谷にはコンビニ以外の大きな資本が入ってきていません。ファミレスが一軒あるくらい。だから若い人たちや個人店が集まることで、都市計画とは違うかたちのおもしろい街づくりができるんじゃないかと思ったんです。

ただ、古い商店街で持ち主が高齢化していることもあり、みなさん新しいことをするのが億劫なのか、テナント物件自体が少ないのが現状です。人に貸すことで家賃収入を得られて、商店街も活性化するメリットを感じてもらえるように、その最初の一例になりたいなと思っています。


商店街を形成していたアーケードは、2017年に撤去された

行政や企業の資本が及びにくいエリアだからこそ、他にはない街がつくれるかもしれないと。

不動産屋の話だと、「物件の空きはないか」という問い合わせは増えているらしいんです。特に中国をはじめとする大陸系の方たちが狙ってきているようだと。

それでいうと、山谷とよく引き合いに出される大阪のドヤ街・西成には、すでに大陸系資本の飲み屋通りができています。単価は安いけど、朝からお店を開けてカラオケを歌わせて、たくさん回転させて利益を得るような。

ただ、山谷はそうはなってほしくないなって。

というと?

昼間から酔っ払いが増えるのって、やっぱり治安上よくないですから。安心して来てもらえる場所になってほしいので。

そうは言っても今は、山谷も元労働者の数が減って、暴力団もいなくなってきて、西成に比べると治安はいいんですよ。同じようなドヤ街で、近くに戦前から続く風俗施設があって……と、類似点はいっぱいあるんですけどね。

だって、お店を出すにあたって数年ぶりに山谷を訪れたら、幼稚園児の女の子が一人で歩いていたんですよ。十数年前までは考えられなかった。いい変化が始まっているんだなと感じました。

「山谷」の名前を残したい

今では公には使われていない「山谷」を店名につけている理由は?

歴史的な意味で、残す必要があると思っているからですね。

この近くに泪橋という交差点があるんですが、かつては橋がかかっていました。その向こうには明治初期まで小塚原処刑場があり、罪人はこの橋を渡ると二度と帰って来られないので、別れる家族や本人が涙を流した場所だったそうです。亡くなった吉原遊女が弔われた浄閑寺へ行くのもこの泪橋を通ったとか。

歴史においてはどちらかといえば暗い、くすんだ方の歴史ですよね。ワケありな労働者が集まってきたのもわかる気がします。

だけど、そういう暗い方の歴史だって歴史ですよね。過去を見なかったことにするのではなく、日本の暗い方の歴史を担ってくれた山谷という街があって、その上で今の東京がある。それはちゃんと伝えていかないといけないことだと思っています。

クラウドファンディングのボトルキープが好評

クラウドファンディングで支援者を募り、山谷酒場は生まれています。実際にお店をはじめてみて、いかがですか?

意外だったのは、20代や30代の若い人たちからの支援が多かったことですね。クラウドファンディングで、甲類焼酎に10種のスパイスを漬け込んだ自家製酒「山谷酒」をボトルキープできるリターンを用意していたんですが、「初めてボトルキープするのが嬉しい」と言ってくれます。


通りに面するガラスの壁側に、ボトルキープの瓶がずらりと並ぶ

20代のあまりお酒を飲み慣れていない若者が一人でやってくることもあり、二杯くらいお酒を飲んで顔を真っ赤にして「今度はお酒の強い友達を連れてくるんで!」と帰っていったこともありました。「一杯だけでもいいんで、また来てくださいね」と見送ったんですが。


山谷酒の炭酸割500円。烏龍割にもできる。他にも和山椒酒、花山椒酒、カルダモン酒、珈琲酒、梅酒などの自家製酒があり、期間限定のお酒が登場することも

ボトルキープするということは、「お店にまた来る」という意思表示でもありますもんね。お店を開くとき、地元の方の反応はどうでしたか?

もっと苦労するかと思ったんですが、大家さんが、商店街や町内の青年部長などを歴任されてきた方なので、意外にもすんなりと受け入れてもらえました。「あいつが貸したやつなら大丈夫だろう」という安心感かもしれません。

地元の方にも、たまに来てもらえています。店を出す前からできるだけ顔を出して覚えてもらえるようにしていたのも、よかった気がしますね。


特製麻婆豆腐800円。自家製酒との相性を考えて、スパイスをたくさん使ったメニューが考案されている


店内の什器を簡素なものにしているのは、初めての人でも入りやすいように。敷居を下げる工夫が見られる

酒井さんは、もともと西調布で喫茶店を経営されていたんですよね?

はい。それより前は福祉施設の職員をしながら、喫茶店のお手伝いを兼業していました。念願の喫茶店をオープンしたのは2015年です。

喫茶店「楓」をそこから3年ほど営業したんですが、喫茶だけのスタイルに限界を感じてしまい……。コーヒー1杯で何時間でものんびりしていただくのはよかったのですが、経営の観点からは難しいものがありました。


醤肉(ジャンルウ)600円。八角やシナモンなどのスパイスで味付けられた豚肉に、白髪ねぎを巻いて食べる

そこで、この近くで遊郭関連の書籍を専門に扱っている書店「カストリ書房」のオーナーであり、知人の渡辺豪さんに相談したところ、この物件を紹介してもらったんです。もともと大衆酒場が好きで、いつか自分で出してみたいという気持ちがあったので、一念発起して店を始めることにしました。

ただ、大衆酒場を始めたといっても、今でも喫茶店とコーヒーが好きなんです。だから、朝は「モーニング喫茶楓」の名前で、喫茶営業もしています。

一言で語れない、多面的な街の魅力

街歩きが好きな酒井さんにとって、山谷の魅力って何でしょうか。

一言では説明できないような、多面的な街、というところでしょうか。山谷にきてから特に、「この街はこういう場所です」って括れないんだなって思うようになりました。

戦前には、全国的に有名なデパートが山谷で創業していて、その隣は当時の大手銀行の発祥地。戦後すぐの1949年頃には、政界と繋がりのある元皇族の方々などから力を借りて、簡易宿泊所を併設した大きな食堂をつくろうという話もあがっていた。

山谷は1970〜80年代が最盛期なんですが、その頃の写真を見せてもらったら、日雇い労働者だけじゃなく、いろんな層のお客さんが街にあふれていたんですよ。それこそ、土日は歩きにくいくらいに。

つまり、お客さんの活気で賑わっていた光景も山谷の姿だし、その何年か前に暴動が起きているのも山谷の姿ということです。

人によっていろんな捉え方がある街かもしれませんね。

そうですね。このあたりにずっと住んでいた方と、流れてきた労働者では、山谷という街について、見えているものが違ったかもしれません。「ドヤ街だからこう」という定義ができないのが山谷なんですよ。そこがおもしろい。

それにドヤ街は物価が安いと思われるかもしれないのですが、山谷の老舗店に入ってみると、意外と値段が高く感じますよ。昔の食堂の写真を見せてもらったときも、店内のメニューの値段は、当時の物価からすると決して安くはなかった。

これには二つの意味があります。一つ目は、稼いでいる労働者もいっぱいいたから、強気の価格設定でもやっていけたということ。二つ目は、不真面目な労働者が安易に入れないようにしていたことです。

ドヤ街のネガティブなイメージからは考えにくいことですね。

実際に治安のよくない時代もあったから仕方のないことでもあるけれど、そのときのイメージだけで「この街は今でもこうだ」って決めつけなくてもいいと思います。

定義したがるのは人間の習性ですが、それによって、街のあり方まで限定されてしまうのはもったいないと思うんです。

もちろんそれは街だけじゃなくて、人もそう。山谷の元労働者はホームレスであったり、あるいは生活保護を受けていて、汚らしい格好をしているというイメージがあるかもしれませんが、決して全員が全員、そうというわけではないんです。

確かに山谷には臭いのある人や、酔っ払ってどこかにぶつかったのか、額から血を流しながら歩いているような人もたまに見かけます。でも、若い頃は勤勉に働いていて、いろんな理由で今は簡易宿泊所で生活しているという人もいる。そういう人は、筋肉がしっかりしていて、身なりもきれいで、近所の人となんら変わらない。

僕は山谷で店を始めて思うけれど、街も人もひとつのイメージでは括れないことをあらためて実感しました。そして、偏見は知らないことから起こるとも思いました。

そういう偏見を無くしていくと言うと大げさですが、自分にもできることがあるとしたら、それはこの山谷酒場を「知ること」の入口にしていくことだと思うんです。

転換期の旗手となって街をつくっていく

山谷は新たな転換期を迎えているのかもしれませんね。

そうですね。まだまだシャッターの閉まったお店も多いので、これがはじまりくらいに考えています。いろんなお店がちょっとずつ開いていくといいなと。

山谷の中心である「いろは商店街」は、吉原側から南千住側に向かって少し治安が悪くなります。だから、吉原側の入り口に近い山谷酒場が旗手になって、街に変わっていってもらいたいと地域の方には言ってもらえていて。その期待に応えたいですね。

山谷はこれまでは「行ってはいけない街」でした。そこをまずは「行っても大丈夫な街」だと認識してもらえるようにしたいです。他の街との違いは元労働者のおじちゃんたちが、いるかいないかくらい。カップ酒を飲んでしまうと、ちょっとよろっとしてる。でも全然悪い人たちではないので。

酒井さんは、そういった方たちとも共生していけるように考えているんですね。

はい。素行のよくないお客さんの入店はたまにお断りすることがありますけど、僕自身は排除したいわけじゃないんですよね。こういうおっちゃんもいるよなーっていうのを知るだけで、見え方は変わるはずです。

まとめ

東京の街を歩いていると、目から入ってくる情報量が多すぎて、逆に見逃してしまっていることも多いように思う。どんな歴史があったのか、どんな人が住んでいるのか。それを知ることで、街の解像度が上がるのではないか。酒井さんと話していて、そう思った。

解像度が上がると、勝手な偏見で街や人をカテゴライズしたものから、こぼれてしまった風景にも気づけるようになる。

2020年の東京オリンピックに向けて、どこもかしこも再開発が進んでいる。そんな中で、行政や大企業の資本に頼らず、住む人たちの手で変わっていこうとする街の姿がそこにあった。

東京の発展を下支えし、社会問題のしわ寄せがきていた街は、これからどう再生していくのだろうか。

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書いた人 : 栗本千尋

1986年生まれ。青森県八戸市出身(だけど実家は仙台に引っ越しました)。3人兄弟の真ん中、2児の母。旅行会社、編プロ、映像制作会社を経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。2020年に八戸へUターン予定。

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