経営者の孤独/クラシコム・青木耕平「正気でいながら狂うこと。 信用せずに信頼すること」

たったひとりでリスクをとり、責任をとり、決断をし続ける人々、「経営者」。
彼らを見ているうちにふと気づいたことがある。

それは、わたしの中にも小さな「経営者」がいるということだ。わたしたちはみんな多かれ少なかれ、自分自身の経営者であり、自分の人生という事業を営んでいる。

世の経営者が会社から逃げられないように、わたしたちもまた、自分の人生からは逃げられない。鎧をかぶってこの平坦な戦場を生きぬかないといけない。わたしが経営者に惹かれるのは、きっとそれが拡大化・社会化された存在だからなのだと思う。

街路樹の続く国立の街に、青木さんのオフィスはある。

エレベータに乗り、フロアに降り立った瞬間、「あっ」と声が出た。
オフィスの中は真っ白で、窓から光が柔らかく差し込んでいる。
「『北欧、暮らしの道具店』の世界だ」と、思った。

同行していた編集者が「撮影もここでするのかもしれませんね」と言い、なるほど、とわたしは納得した。

クラシコムは『北欧、暮らしの道具店』というWebメディアを運用している会社だ。
生活雑貨を中心に取り扱う通信販売事業を行っているが、同業他社に比べてユニークな点は、「メディア」であること。広告やポイント・クーポンなどの販促活動ではなく、インタビュー記事やコラム、最近では短編ドラマなどのコンテンツを発信することで、顧客を獲得している。

「僕らの本業は、『ある種の好みを持ったお客様を楽しませること』なんです。その中の一定数の人が、結果的に購入してくださる。そういう構造になっています」

と、クラシコムの社長・青木さんは話す。

わたし自身、『北欧、暮らしの道具店』の愛読者である。
日常のなかに喜びや楽しみを見い出すヒントが詰まった各コンテンツに惹かれ、それまで興味のなかった食器を好きになって、ここでお皿を買ったこともある。

どんな会社が運営しているんだろう?
それからクラシコムのことが気になり始め、青木さんのインタビュー記事をよく読むようになった。

実妹の佐藤友子さんとともに、34歳のときにクラシコムを設立し、現在12年目。女性中心の会社で、基本的に残業はなし。事業内容だけでなく、勤務環境や働き方のあり方でも注目を集め、着々と業績を伸ばし続けている……。

そんな会社を経営する青木さんへのわたしの第一印象は、「理性的な人」である。

「僕は『何がやりたい』とか本当にない人間で」

ある対談で、青木さんがそのようにおっしゃっていたのをよく覚えている。
それを読み、「何がやりたい」というのがなくても、こんなに素敵な仕事を生み出すことができるのだなと、驚きと希望のようなものを感じた。そして同時に、感情的な部分があらかじめない分、きっと誰よりも理性的に動くことができる人なのだろうと。

だからこそ、青木さんの「孤独」の部分について話を聞いてみたかった。理性的である青木さんの、感情の部分を。

青木さんはにこやかにわたしたちを出迎えてくれた。
「経営者の孤独というテーマでお話を聞かせていただきたいのです」
わたしがそう言うと青木さんは、「すごいテーマですよね」と、笑ってうなずいた。

プロフィール
青木耕平
1972年埼玉生。株式会社クラシコム代表取締役社長。サラリーマンとしての勤務や、共同創業者としての経験を経て、2006年に妹・佐藤友子さんとクラシコムを創業。2007年に北欧雑貨を中心としてECサイト『北欧、暮らしの道具店』をスタートする。

リスクを取りきれる範囲で、どこまで狂い続けられるか

土門

まずは、青木さんが今経営の上で課題に思っていることについて教えていただけますか。

青木

いやあ、もう、課題しかないんですけどね……。ビジネス自体は、順調に成長しているんですよ。だけど、我々がインターネットの中でビジネスをしている以上、その成長っていうのはすべて、他社が運用しているプラットフォームの上に成り立っているんです。たとえば検索エンジンや各SNSの運営会社。クレジットカードの決済事業者、宅配業者。僕たちがビジネスをするには、様々な他社のプラットフォームを使わなければならない。そうすると、あらゆることにおいて、他社が我々のビジネスを握っていることになるわけですよね。たとえばどこかの会社に「今日からサービス料金が値上げになります」と言われても、代替案がなければ、逆らいようがないわけです。だから、EC事業というのはある意味で軽やかにできるビジネスではあるけれど、いろんな支配からのうまい距離感、パワーバランスをコントロールしなければ、一瞬でダメになってしまうビジネスでもあるんです。そういうものからの自由を、どう手に入れるかっていうのは、ずっとある課題ですね。

土門

他社との距離感のバランスを、いかにうまくとるか。

青木

そうです。そしてもうひとつの大きな課題は、この会社っていいよねと思ってもらう「ブランディング」と、「儲かる」ということは、原理として逆相関にあるということです。要するに、儲かったらブランド価値が下がる。だけど、それじゃビジネスが成り立たないので、儲かってもブランド価値が下がらないっていうのがとても重要なわけです。じゃあどうすればいいのかと言うと、常に「狂っている」って思われる必要があるんですよね。「こんなこと、どうやって収支を合わせているんだろう?」って思われつつも、裏側を見ればちゃんと収支が合っている。そういう状態が望ましいわけです。

土門

破綻しないぎりぎりのところで、狂い続けると。

青木

はい。どうしたら、リスクを取りきれる範囲で狂ったことができるのか。しかもそれを更新し続けられるのか。規模が大きくなれば、3年前には「狂ってる」と言われていたことも、「通常業務ですよね」となってしまう。だから、どこまで常に狂い続けられるか、勝負し続けられるかっていうのが、ずっとある課題ですね。

インタビューは、序盤からトップギアで始まった。

青木さんの、無駄のない受け答え、穏やかながらはっきりとした口調、強度のある言葉たち。何度も何度も言語化をして、人に伝えてきた、その筋力のようなものが感じ取れる話し方だった。和やかな雰囲気のなかに、ぴりぴりと緊張感が流れているのを感じる。

正常な判断のもとで、意図的に狂い続けることが必要だと、青木さんは言う。
そもそも理性的であることと狂気的であることは相反することのように思うのだが、逆に考えれば、狂気的でいるためにはひどく理性的でなければならないのかもしれない。
青木さんの目を見ながら、そんなことを思った。

わたしは、無意識のうちにぐっと前のめりになる。
そして、質問を続けていった。

区切り線
土門

青木さんは、ご自分が会社でどんな役割を担っていると思いますか。

青木

そうですねえ……。よく使うのは映画のたとえなんですけどね。僕と佐藤っていう関係性でいうと、僕がプロデューサーで、妹が監督なんですよ。

土門

はい、はい。

青木

僕自身は実は、やりたいことが何もない人間なんです。だけど、佐藤はそうじゃない。僕は、佐藤がやりたそうなことの中で、「これだったら時代性もあるし、ビジネスとしても成立するんじゃないか」ってことを投げるんです。それが一つ目の仕事。そしてお題を考えたら、佐藤が「これを作るにはこれが要る」っていうことを言い出すわけですよね。お金、人、場所……それらのリソースを一所懸命集めてくる。これが二つ目の仕事です。

土門

はい。

青木

で、作っているといろんなリスクが出てきますよね。それらを顕在化させて潰していく。そして最後に、山あり谷ありの末できたすばらしい作品を、広く知らしめる。大きなマーケティング、そして各オペレーションの管理という仕事があるわけです。……つまり、頭とお尻の部分を僕が担う。あとは制作に伴走してリスクを潰していくっていうのが僕の仕事です。妹は、とにかく作品の質を最大化する人。そういう役割分担ですね。

土門

会社全体にとっても、青木さんはそういう存在なのでしょうか。

青木

はい。簡単に言うと、言い出しっぺですよね。お題を出して、やる気になった人に、リソースをつけていく。物ができたら、それを広く届ける方法を考えてやっていく。だから、僕の持つ時間の半分以上は、採用と人事に使われています。結局、今の理屈で言うと、いい人を採用して、ストレスを取り除いて、生産性の高い道具を与えたら、放っておいても仕事するっていうことなので。僕はあまり、「がんばれ!」って励ましたり、育てたりすることは、考えたことがないんですよ。

土門

そうなんですか。

青木

もちろん、テクニックをインストールすることはやりますよ。でも、怠け者だった人が僕の教えで急に勤勉になることはないと思うんですよね。必要な人を採用して、環境を整えるのが僕の仕事。だから、すべては「採用」にかかっているし、そこにエネルギーを割いていますね。

個人として「幸せになりたい」と思ったことがない

土門

青木さんが経営の上で、いちばんストレスに感じることって何ですか?

青木

うーーーーん。何だろうなあ……。問題は絶対になくならない、ってことかな。

土門

解決しても解決しても、新しい問題が出てくるという?

青木

うん、いろいろ片付いてすっきりした、なんて瞬間は一切存在しないですね。従業員として働くことって、限定された責任の範囲内で起こることにどう対処するのかってことだと思うんです。でも僕の場合、責任の範囲が限定されていないんですよ。だから、たとえば北朝鮮で戦争が起こっても、サウジアラビアで石油事故が起こっても、国内で自然災害が起こっても、「会社にどういう影響が出るだろう」って心配なわけですよ。もう、世界中で起きていること全部が、自分を責めてくるみたいな。

土門

それこそ、さきほど課題として挙げられていた、「いろんな支配の上に成り立っている」といったことが、ストレスになっているんですね。

青木

そうですね。不確実性が極まった中で仕事をしているので、ある意味みんなが味方で、みんなが敵。そういう意味では、「安心だなー」みたいな瞬間は一切ないです。リスクが0になるっていう瞬間は決してないので。常に、「今顕在化したら死ぬ!」っていうリスクがいくつかある。それをだましだまし、解決できる問題だけを解決しながらやっている感じです。

土門

じゃあ、悩みもたくさんあるんじゃないでしょうか。

青木

「悩み」って、仕事において、解決の糸口が見つからないってことですよね? それはもう、言えないくらいたくさんありますよ(笑)。

土門

その中でも、どういった悩みが一番多いですか?

青木

ベタですけど、「人」と「市場」のことかなあ……内部環境と外部環境……うん、全部ってことですね(笑)。

土門

あ、本当ですね(笑)。

青木

外部が割と平和な時は、内部のことで悩んでいますし、内部が平和なときは、外部に注意がいく。それだけの違いだと思います。心配できる総量が100あれば、常に何かしらに100使い切っているので。あとは、それ以上心配事があっても心配しきれる能力がないから、流れていっている。

土門

常に、限界まで心配している?

青木

ですね。心配の総量が70とか80の日なんてないです。だからもはや、自分が悩んでいるのかどうかもわからない。「悩みたくない」とすら思っていないというか……。僕ね、個人として「幸せになりたい」って、思った記憶がないんですよ。

土門

えっ、そうなんですか? 

青木

自分の中のテーマを追って、作品をつくろうとしているときって、「ラクしたいな」なんて思わないじゃないですか。いいものを作りたすぎて、多少不健康になってもいいみたいな。その「作品」が、僕にとっては会社とか事業なんですよね。もちろん長くやっていくために健康であろうとは思っていますけど、別に個人として幸せになりたいというのは、これっぽっちもないです。

土門

青木さんにとって、仕事は「作品」なんですね。その作品性への追求と引き換えに、個人の幸せを渡している、という感じでしょうか。

青木

いや、幸せであることに、そんなに価値があるとも思っていないので、引き換えているという意識もないですね。幸せであることよりも、作品性のあるものを作って誰かをインスパイアするほうが、ずっと興味があるんです。僕はそもそも「幸せって存在してるの?」って思ってるんですよ。快適だとか気持ちがいいとか、フィジカルな感覚はわかるんですけど、「幸せ」っていうのは概念ですよね。だから、よくわからなくてしっくりこない。クラシコムが「フィットする暮らし」というコンセプトを立てているのは、僕がフィジカルなことしか信じていないからなんですよ。概念的な「幸せ」や「豊かさ」を作ろうっていうのはよくわからないから、言いたくないんです。

クラシコムの理念は「フィットする暮らし、つくろう。」だ。

「自分にフィットするものを捜し、それに出会う。
その過程で誰かと比較する必要も無い、自分用のフィットする暮し方をつくって行く」
会社としてその機会を提供したいと、コーポレートサイトには書かれてある。

「幸せ」はわからないけれど「快適」ならわかる、と青木さんは言う。
「難易度の高いことには、手を出したくないんです。『幸せ』は僕にとって、難易度が高すぎるんだよなあ」

だから、自分が幸せであるかどうかもまったく興味がない。
そうきっぱり、青木さんは言うのだった。

無条件に信じる相手がこの世に存在しない

土門

「個人的な幸せ」という言葉が出ましたが、青木さんはそもそも、公と私を分けている感覚はありますか?

青木

僕にとって「私」というと、「公」のための休息とか息継ぎなんですよね。だから結局は全部、「公」なんだろうな。

土門

青木さんの時間や行動は、すべて「公」のためにあると。

青木

はい。「公」に活かせないことは1分もやりたくないですね。たとえば僕、資産運用もしたことないし、いまだに借家で、車も持ってないんですよ。投資だとか、他社のコンサルだとか、興味なさすぎて。自分がやっている仕事に、オールインしたいんですよね。

土門

「公」のためにオールインしながらも、ふと個人として、辛いとか寂しいとか思うことはありますか?

青木

いや……それが、「寂しい」っていうことが、実はわからないんですよ。

土門

え? それは、「寂しい」と感じたことがないということですか?

青木

うん、ないんですよね……。このインタビューの要である、「孤独」というテーマについて一所懸命考えてみたんですけど、わかんないんです。おそらく誰からも必要とされていなかったら「寂しい」と思うんでしょうけれど、仕事もあるし家庭もあるし、なんだかんだ社会と関わっているので、「寂しい」要因って、何があるのかなって思うんですよ。

土門

なるほど。

青木

でももしかしたら、「寂しい」っていう概念と、フィジカルな感覚が、きちんとアダプトできていないだけなのかもしれないな。たまに、痛みに強すぎて、「お前怪我してるけど大丈夫!?」みたいな人いるじゃないですか。どっかにそういうところがあるのかもしれないですね。でもそもそも、「寂しい」と「孤独」って一緒なんですかね?

土門

そうなんですよね。「寂しい」=「孤独」なのかというと、わたしも違うような気がするんです。このインタビューを通して、「孤独」とは何なのかがわかればいいなと思っているんですが……。

青木

僕、妹に、「お兄ちゃんって、みんなを信頼しているけど、結局は誰のことも信用していないよね」って言われたことがあるんです。それって、孤独の本質かもしれないなと思っていて。

土門

信頼するけど、信用していない。

青木

そう。経営者って、かなりのリスクをとりながらも、人を信じないと仕事にならないんですよね。だから、信頼する力はあるんですよ。でもその信頼が裏切られたときに「なんだよ!」って言ってしまうんじゃなくて、「あ、そっか。でも準備しているし大丈夫」って言えるのが良き経営者なんだと思うんですよね。信頼しつつ、別に信用はしないっていう。

土門

ああ。なるほど。

青木

一事が万事、そういうスタンスだと思うんで、孤独といえば孤独かもしれないですね。無条件に信じるっていう相手が、この世に存在しないわけですから。僕は、人との関わりのなかで、無条件に期待するなんてことは一切ないんです。何のメリットもないのに、きっとこの人は僕のことが好きだから助けてくれるだろうとか、そんな世界観を持ったことはただの一度もありません。だから、そういう思考の人から見たら、「なんてかわいそうなの」って思われるかもしれない。でも僕にはそのほうが精神衛生上いいんですよね。信用するっていうのは、依存するっていうことに非常に近いように思うんですよ。僕は依存したり依存されるのが苦手なんです。美しくないなって思うので。

土門

青木さんのなかに、「そもそも人はひとりである」という考えが一貫してあるということですか。だからこそ、繋がり合えたらラッキー、みたいな。

青木

そうですね。だからこそおもしろいし、大事にしないといけない。僕は、自分が人に支持されているかどうかは、自信がないんです。だから周りのみなさんに、どういうメリットを還元できるかっていうのを、可能な限り厳密に考え続けているという感じですね。

土門

そうやって努力し続けているから、結果的に一緒に働くことができている。

青木

そうですね。うちはこれまで、転職を理由に退職した人がいないんですよ。退職理由のほとんどが独立。彼らが独立したあとも、一緒に仕事していますしね。つまり、他の会社に行くためにここを辞めた人が、まだひとりもいないんです。

土門

えっ! それはすごい。

青木

要は僕、支持されている自信がないからサービスするんです。これ、言い方が良くないですね(笑)。

土門

いえ、的を射た言葉だと思います。とは言え、やはり社員の方から退職の話をされるときは、どきどきしますよね?

青木

そりゃあもう、「ああ、来ちゃったか!」って感じですよね。だけど「辞めます」って言われたら、引き止めたことは1度もありません。全員そうなる可能性があるって思って接しているので。それに、「行かないでよ!」って言った瞬間に、元の関係が壊れてしまうわけですよ。それくらいならもう、潔く行ってもらったほうがいい。僕にできることがあるとすれば、「辞めなければよかった」ってあとから思われるくらいにいい会社でいようっていうことです。それが僕のプライドかな。

できるなら、仕事終わった瞬間に死にたい

土門

もう社長を辞めてしまいたいなっていうときはありますか?

青木

いやぁ、それはもう、たくさんありますよ。基本臆病な人間ですし、難しい問題があるな、手に負えないなってなると、辞めたくなります。とはいえ、これだけ社員もお客様も取引先の方もいて、辞めます! ってわけにもいかないので。軌道に乗っているということは、社会に組み込まれているってことなので、求められている間はやらざるをえないですよね。

土門

ではどんな風にその気持ちをやり過ごしているんですか?

青木

長年やってると、時間がたつと元気が出るって自分がわかってくるもんですよ。だから、辞めたいなって思いながらも、だらだら淡々と過ごす。そうしていると、自分のどこかにある謎の泉から、変なやる気が湧いてくるんです(笑)。

土門

逆に、こうなったら辞めようっていうのはありますか? たとえば、この目標を達成できたらとか。

青木

いや、それが、今言ったことと矛盾するんですけど……あと20年はやりたいんですよね。自分が機能しなくなるまで、あるいは多少機能しなくなっても、許される限り続けたい。

土門

それは、クラシコムという会社で。

青木

そうです。僕は引退したら他のことやりたいとか、そういうのが一切ないんですよ。できるなら、仕事終わった瞬間に死にたいですね。僕、ある占い師さんに言われたことあるんです。「青木さん、人間卒業間近ですね」って。

土門

「人間卒業」! この人生が終わったら、もう次のステージに行ってしまう、みたいな。

青木

そう。それを聞いて、妙に納得したんですよね。そっかー、もう人間終わりなのかって。

土門

ああ、なんだかわたしも納得してしまいました。わたしも「人として生まれる輪廻の回数には決まりがある」と思っているんですけど、たとえばあがりが20回だとしたら、自分自身はまだ2、3回目くらいだろうなと思っているんです。

青木

ははは、そうなんですか。

土門

先ほど青木さんは、「寂しいと感じたことがない」とおっしゃっていましたよね。「信用することは依存することに似ている、そしてそれは美しくない」と。わたしは頭でそれがわかっていても、ついつい依存してしまいそうになるんです。そして「寂しい」と思ってしまう。だからこのテーマで「孤独とは何か」を探っているわけなんですけど……。青木さんはきっと、その先を行かれているんでしょうね。

青木

まあ、若い頃は寂しかったり、依存する・しないなどということで、ジタバタしていたと思います。やっぱり、年をとったってことなんでしょうね。そういう意味では大人で、卒業間近だってことなんだと思います。

「寂しい」と感じたことがない。
このインタビュー連載を続けていく中で、そういった答えをもらう日が来るだろうなというのは、前々から思っていた。

「寂しい」と「孤独」はイコールではないけれど、近似値の感情だとは思う。
「孤独」を囲う感情のひとつに、「寂しい」があるイメージだろうか。
だけど青木さんの中では、そのふたつは繋がっていないのかもしれない。

そんなことを考えていたら、ずっと話を聞いていた編集者が、口を開いた。
「僕、聞いていて思ったんですけど」
青木さんとわたしが、いっせいに編集者に目線を向ける。

彼は少しはにかみながら、こんなことを言った。
「孤独って、ずれが生じたときに感じるものなのかなって思ったんです。家族とか、友人とかと、思いがすれ違ったときに感じるもの。でも青木さんは、自分と人はずれて当然だと思っているがゆえに、孤独とか寂しさを感じないのかなと……そう思いました」

それを聞いた青木さんが、「あっ」と言った。そして、大きな声で繰り返した。
「そうかも。孤独は、ずれである」
わたしと編集者は、その勢いに少し気圧される。

「なるほど、そうだ、それだ」
青木さんはそんなわたしたちには構わず、何度もうなずきながら、なんだか嬉しそうに笑っていた。

正気を保つために、心に鍵をかけているのかもしれない

青木

なるほどなあ。うん、本当にそうですね。僕は常に最悪のことを想定して生きてるので、「どうせいつかダメになる」みたいな気持ちでやってるんですよ。だけど、そうじゃないと経営なんてできない。「期待しない」っていうことは、「リスクに備える」ってことですから。でも、だからこそ、人と自分はずれて当然だって思うようになったんだろうな……。

土門

だから、「寂しい」という感情もなくなった?

青木

そういうことですよね、きっとね。でも、今その話を聞いて、なんだか急に「俺って寂しい奴だな」って思ってきました(笑)。

土門

えっ! そんな(笑)。

青木

……なんだろう。「そこまで寂しくなりたくないのか、お前は!?」みたいな。ずれを感じてしまったら寂しくなるってことがあらかじめわかっているから、そうとう自分を適応させて、もはや寂しくないところまでいっているんでしょうね。だけどそれが逆に寂しいっていうか。……なんか、一周回ってすごい寂しい気持ちになっています、今。

土門

(笑)。

青木

ああ、わかった。つまり、土門さんは、僕より寂しくない人なんですよ。

土門

え?

青木

先ほど土門さんは、「常に誰かに依存してしまうかもしれないと思っていて、寂しい気持ちになる」っておっしゃってましたよね。それはつまり、「寂しい」っていう感覚を持ち続けられるということなんですよ。自分のなかにある自然な感覚をストレートに受け入れつつ、正気でいられる。だからむしろ、僕なんかよりずっと依存していない、自立している人なんだと思います。

土門

……そんなこと、初めて言われました。

青木

僕は「寂しいなんて感じたことない」とか言いながら、一皮むけたらクソ依存野郎で寂しがりなんですよ、きっと(笑)。それがひどすぎるから、心に鍵をかけているのかもしれない。

土門

正気を保つために。

青木

そう、正気を保つために。ああ、今日は俺、久々にかさぶためくられた気がするな。ほんとそうだわ。すごく、そう思います。やべえ、胸がじくじくしてきた(笑)。

「寂しい」と感じたことがない。
そう言っていた青木さんが、最後の最後で寂しくなってしまった。
「どんでん返しですね」と笑いながらも、胸のうちにしこりのようなものが残る。

正気でいながら狂っていること。信頼しながら、信用はしないこと。
この日、青木さんが言ったふたつの言葉は、同じことを指しているように思う。
ぎりぎりのところまでエモーショナルに突き進みながら、それでいてどこか、醒めた目でリスクを計算している。
「もし失敗しても、裏切られても、大丈夫。準備しているから」
そう言い聞かせながら。

でも本当は大丈夫なわけはないのだ。裏切られるのはこわいし、傷つくのはこわい。だから、ある部分の感覚をカットすることで、その恐怖や落胆にやられないように、理性を守っているのかもしれない。なぜなら経営者にとって「正気」、つまり理性を失うことは、すべてを失うことに近いから。

「自分のなかにある自然な感覚をストレートに受け入れつつ、正気でいられる」
そのように青木さんはわたしのことを表現してくれたが、その「正気」はおそらく、経営者に必要な「正気」とは、質も量も違うのではないだろうか。
そんなことを、思った。

インタビューが終わり、屋外で1ショット撮影させてほしいとお願いした。
青木さんは国立の街に立ち、なんだか居心地悪そうに、カメラの前に立つ。

「ぱっと撮ってしまいますね」
その雰囲気を感じ取ったカメラマンが、手際よく写真に納める。わたしはそれを見ながら、ふと、青木さんの言葉を思い出す。
「『安心だなー』みたいな瞬間は一切ないです」

都会の中心にいるのに、まるで野生動物みたいだと思った。常に何かに注意をしている動物。

孤独とは何だろう。
青木さんにインタビューをしてから、またそう思った。

「孤独とは、ずれである」
確かに、これもひとつの解だと思う。
だけど、「ずれ」がぴったり重ならない、そのことをわかった上での、さらにその先の孤独もあるような気がする。
そしてきっと、青木さんはそれをもまた、呑み込んでいるような気がする。

わたしは、青木さんを振り返る。
青木さんは、緑と緑をつなぐ横断歩道を、大きな歩幅で渡りきっていった。

取材・撮影=京都文鳥社

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書いた人 : 土門蘭

1985年広島生。小説家。京都在住。ウェブ制作会社でライター・ディレクターとして勤務後、2017年、出版業・執筆業を行う合同会社文鳥社を設立。インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。共著に『100年後あなたもわたしもいない日に』(文鳥社刊)。

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