息子の帰還!老舗じゅうたん屋のリブランディングにみる「家業」の未来

山形の老舗じゅうたん店はいかにして復活したか?

東京から新幹線に乗って4時間弱。ここは山形県山辺町です。

音楽ファンにとっては銀杏BOYZの峯田和伸さんが産まれた町として有名なこの地には、ずっと昔からみんなに愛されている「まちの自慢」があります。

いや、正確に言うとそれはずっと山辺町にあったのですが、あるとき時代とすれ違ってしまって、事業継続の危機に追い込まれたこともありました。

危機を乗り越え、いまふたたび返り咲こうとしている山辺町自慢の逸品。それは、ひとつひとつ丹念に手作りされているオリエンタルカーペット社の「山形緞通(だんつう)」というじゅうたんです。

自慢ポイントはいくつもあります。まずなんといってもその美しさ!

この日食をモチーフとした青いじゅうたん「TAIYO」をデザインしたのは、UNIQLOやTSUTAYAのデザインでもおなじみの佐藤可士和さん。

こちらは「SAKURA」。フェラーリ・マセラティにも携わった世界的工業デザイナー・奥山清行さんがデザインしたものです。

もちろん美しさだけでなく実用性もすごく高いのです。「ふわふわ」しているのに、「しっかり」もしていてなんだか頼りがいもあります。高級ホテルのロビーにあるじゅうたんが、そのままリビングに来てくれる感じです。

それもそのはず。

オリエンタルカーペット社は、1935年創業のじゅうたんメーカー。国内外から高い評価を得るその製品は、歌舞伎座、新国立劇場、ホテルオークラ、帝国ホテル、東京証券取引所、京都迎賓館、清水寺、アメリカ合衆国大使館といったそうそうたる建築に導入され、彩りを与えるとともに、訪れた人を足元から幸せにしています。

今回は、このすごいじゅうたん(平均40万円ぐらいとお値段もすごいんです……!)を手がけるオリエンタルカーペット社の渡辺社長と、その長男で同社社員の渡辺篤志さん、東京で音楽の仕事をしつつ、会社を手伝い始めている次男の渡辺貴志さんにお話を伺いました。

社運をかけたリブランディングの成功。その先にあった意外な成果は「息子の帰還」でした。

色んな意味で「会社のエンディング」が自分の仕事だと思っていた

今井

工場を見学させていただきましたが、どのじゅうたんも素晴らしいですね……。いつか山形緞通のじゅうたんを買うという、人生の目標ができました。

渡辺社長

ありがとうございます(笑)。手織りのものなら100年は使えますよ。文字どおり会社の存続をかけてやったブランドなので、そう言ってもらえて嬉しいです。まだまだ成功したとは思っていませんが、東日本大震災直後、大学生だった長男に「うちの会社で働くことは有りえない」と言ってた頃よりは、だいぶましになりました。

今井

工場内に会社の理念が飾ってあるのを見たのですが、「利益」や「利潤」といった言葉がないのが印象的でした。

渡辺社長

オリエンタルカーペットは1935年、私の義父の父で、ここにいる二人にとっては曽祖父にあたる渡辺順之助が創業しました。山辺町は「山辺木綿」で知られた染織の町だったのですが、当時は冷害凶作による大不況で女性や子どもが売りに出されるような状況になったそうです。そんなとき、この地に働き口があればと創業したのがはじまりです。富裕層をターゲットにする高級じゅうたんなら、景気の波に左右されないのでは? という考えがあったと聞いています。ただ、私はちょうどバブルがはじけた91年にオリエンタルカーペットに入って、そこから20年ずーーーっと、じゅうたん業界全体も、会社にとっても苦境の連続でした(笑)。というのも、迎賓館や総理官邸に納品できた、従業員が成長した、お客さんに喜んでもらえたという喜びこそあったものの、会社の業績は下がりっぱなしだったからです。

今井

それは大変でしたね。

渡辺社長

単年でみたら赤字の連続でも、3年に1回ドンと大きい仕事が来ると帳消しにできたりもするんですよ。でも景気が悪くなると、それが4年に1回になり5年に1回になり……。いよいよピタッと途絶えたのが2005年でした。その翌年に叔父から社長就任を頼まれ、会長になったその叔父もすぐに亡くなってしまって。会社のエンディングをどうしていくのか、これも私の仕事の一部かなと思っていました。


次男の貴志さん(左)、渡辺社長(中央)、長男の篤志さん(右)

長男

私や弟が中高生だったころと重なるのですが、自宅で仕事の話は聞いたことがなかったですね。ただなんとなく「よくない」というのだけは伝わってきました。

今井

実際はそこから一念発起して個人ユース向けのじゅうたんを開発。ついには「山形緞通」ブランドを始められるわけですが、何かきっかけがあったのでしょうか?

渡辺社長

このまま衰退し、企業として終えるのは嫌だなと…。じゃあその何かを何にするか考えたときに思い浮かんだのが、個人向け販売だったんです。もともと、山形県内では昔から個人向けもやっていたんです。それこそクルマじゃないですけど「いつかはオリエンタルカーペットのじゅうたんを買いたい」と言ってくださっていた方も少なくなくて。また、何かの縁で山形に来て、私たちのことを知ってくれた方が「こんなに素晴らしいものが日本にあるのを知らなかった。ぜひ売って欲しい」と言ってポンっと買ってくれることも何度かありました。山形にいいじゅうたんがあるというのを適切に伝えることができれば、買ってくれる人は全国にもっといるのかもしれない。そう思って、伝える方法を考えはじめました。

一流デザイナーたちは、仕事ぶりも一流

今井

フェラーリのデザイナーとして活躍され、最近だとJRの高級リゾート車両「四季島」をデザインされた奥山清行さんとのコラボレーションにそこから取り組まれたんですね。


左が「MOMIJI」、右が「UMI」

渡辺社長

「何か新しい取り組みを」と危機感を持っているときに、高校の同窓であり、亡くなったわたしの兄の親友だった奥山清行さんとお会いし、じゅうたんのデザインをお願いしました。仕事を受けていただく前に一度、工場に来てくれたんです。その時に「職人の皆さんのチームワークと技術の深さに、涙が出るほど感動した」と言ってくれてね。うれしかったですね。

今井

そんな想いをのせてつくられたコラボモデル第一弾「MOMIJI」が大ヒットして……。

渡辺社長

いえ、最初は順調なスタートではありませんでした。一応、奥山さんの言葉を借りれば「黒船効果」という戦略はあったんです。海外で評価されてからの方が国内で売りやすいということで、パリの国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」に出展しました。経営難のなか安くない出展料と渡航費で持って行きますから、社内の期待も相当なわけですよ。これがダメだったら会社のみんなに顔向けできないという気持ちもありました。でも結果、反応はほとんどなし。

今井

ドラマのようにはいかないんですね…。

渡辺社長

今思うとですが、じゅうたんとして1枚2枚を展示するでは厳しかったですね。山形のものづくり連合チームで行ったんですが、家具と一緒に展示していると、家具の飾りにしか見てもらえないんですよ。それで「もうだめだ、来年はやめよう」と思っていたところに、奥山さんから渡されたデザインが「UMI」の資料でした。

今井

「UMI」の実物を拝見したのは今日がはじめてだったのですが、なんというか、じゅうたんであってじゅうたんじゃないですよね。じゅうたんの再発明というか。デザインもすばらしいのですが、同じか、それ以上に手ざわりがすごくて……。

渡辺社長

ありがとうございます。「MOMIJI」も「UMI」も手織りではなく「手刺し」という手法でつくっています。

渡辺社長

「MOMIJI」に「UMI」のラインが加わることによって、黒船効果というか、国内で注目を引くことに成功した商品です。まず海外で話題になり、そのあと逆輸入的に国内に持って来て、それをマスコミの皆さんが取り上げてくれて…という形で広がっていきました。また、奥山さんとの実績があったからこそ、そのあともたくさんのデザイナーさんと仕事ができています。

今井

従来のじゅうたんのデザインの考え方とはかけ離れたデザインだと思うのですが、社内的な反発はなかったんでしょうか?

渡辺社長

戸惑いはあったと思いますよ。思いますけど、当時は言えなかったでしょうね……。みんな「変わらなくては、何かしなければ」と、そんな思いを持っている。だから色々言いたいことはあっただろうけど、従業員みんながそれを飲み込んで頑張ってついてきてくれた。だからこそ、今があります。従業員のみんなの協力がなければ、何もできなかったと思います。

渡辺社長

最初の「MOMIJI」なんかは、明確な反発こそないものの「ほんとに売れるのかな……」という声が聞こえてきたりするんですよ。誰が買うのかわからないと。そういうとき奥山さんが素敵なのは「MOMIJIは、僕がまず1枚買うよ」って言って、実際に買ってくれるんです。「僕が欲しいものをつくったんだから、買うのは当たり前だ」と。「UMI」も40万円するんですが、買ってくれています。そういうのはやっぱり、グッときますよね。実は「MOMIJI」の第一号のお客さまは、奥山さんなんです。昨年は奥山さんとのコラボの製品が世に出てちょうど10年という節目の年でした。感慨深かったですね。

今井

一流ゆえの心意気といいますか…。

渡辺社長

そうですね。話は少しそれますが、山形の鶴岡市文化会館という場所に納品する緞帳(どんちょう)をつくっているところでして。日本画家の千住博さんが描かれた「水神」という作品を緞帳にしているんです。その最終確認に千住さんが来てくれたのですが、仕上がりに感動してくれてね。ステージにかける緞帳なのでとても広い場所でつくっているんですけど、その真ん中に行って四方に「ありがとう! ありがとう!」と叫んでくれたんですよ。うちの職人たちに直接感謝の言葉をかけてくれてね。佐藤可士和さんや、同じくお仕事をご一緒した隈研吾さんや西澤明洋さんもそうですが、一流のクリエイターさんたちは皆さん、素敵な人ばかりですね。

リブランディングの意外な成果は「息子の帰還」

次男

僕は東京で音楽の仕事をしていまして、今お名前があがったクリエイターの方々のことは、それこそ学生時代からメディアを通して知っていましたし、憧れてもいました。だから未だに、父と佐藤可士和さんが一緒にお酒を飲んでいると聞いても、全く理解が追いつきません(笑)。

今井

先ほど、近くのスーパーで地元の方とお話ししていて、「山形緞通の取材に来ました」と言ったら、「ああ! 渡辺さんのところね!」と返されました。地元では知らない人のいない家柄だと思うのですが、お二人はずっと、家業に関心を持たれていたのでしょうか?

長男

どうですかね……私は長男なので、やっぱり、頭の片隅にはありました。物心ついた時から。ただ、会社の状況もありましたし、ここで働くことは考えていなかったですね。そんななか、一昨年に社長である父の方から一緒にやらないかと声をかけてもらって、自分としては断る理由はないなと。やっぱり自分の家なので。

次男

僕は、イヤでした(笑)。今でこそ素晴らしいと思っているのですが、いわゆるクラシックな「じゅうたん」のイメージが凄く苦手で、どうにかそのイメージを遠ざけようと思春期を過ごしていました。今、自分はエンタメ業界にいるのですが、そうした業界を選んだのも、じゅうたんへの反発が続いていたからだと思います。ただ、東京で働いていて実家のことを話すと、知ってくれている方がたくさんいるんですよね。しかもみんな自分より詳しいし、生き生きと語ってくださって…。あるご縁が重なって、エッセイストの松浦弥太郎さんとランチをご一緒したことがあって。そのとき、山形緞通のすごさ、オリエンタルカーペットのすごさを、嬉々として松浦さんが語ってくれたんです。「渡辺くんのお家がやっていることは、本当にすごいことなんだよ」と。まさか憧れていた人から、実家のものづくりが名指しで褒められるなんて思ってなくて。それでちょっと目が覚めたというか、きちんと向き合おうと思うようになりました。

今井

家庭内で黒船効果が! 山形緞通というモダンなブランドを立ち上げて、売上が安定して、認知も上がってといろんないいことがあったと思うのですが、その成果は「息子たちの帰還」にもあったのかもしれませんね。

次男

今、そう言っていただいて初めて意識しましたが、たしかにそうかもしれませんね……。「親父の仕事、かっこいいかも……」と思わされたところはある気がします。

長男

正直、僕もあったかもしれません……。ブランドの基礎をつくった社長のことはすごいと思いますし、尊敬もしています。

渡辺社長

ははは。

次男

兄は社員として入りましたが、僕は外から、なんらかの貢献ができたらと思っています。東京にいるからこそ、できることもあると思うので。一時期、BASEという個人で小売りができるサービスを使って、「UMI NO IE」というスペースのチケットを売っていました。

次男

鎌倉で古民家を借りて、若い人に山形緞通のじゅうたんを体験してもらえる空間としてスタートしてみたんです。ただ、思っていた以上に運営が大変で…(苦笑)。個人的に「じゅうたんそのものを売る」ってことはもちろんなんですが、それ以外の「じゅうたん体験や空間」が売りものになるんじゃないかという仮説を持っていまして。このままなんとなくやっていると趣味レベルだなと感じたので、きちんと事業として成立するように、今は次の策を練っているところです。

渡辺社長

次男は家業に興味がないと思っていたので、「手伝いたい」と言われたときは本当に驚きました。彼が今やってくれているオンラインでのサポートもそうなんですけど、やっぱり56歳のおじさんが見ている世界とは全然違うので、面白いアイデアはどんどん取り入れていきたいなと思っていますね。ただ一方で、ビジネスっていうのはWin Winでないといけない。親子かどうかは関係なく、ビジネスとして成り立つ関係をどう構築してくれるのかは、楽しみであり、心配もしている部分です。やっぱり、お客さんに買ってもらってなんぼの世界なので。

今井

お兄さんは、どう思われますか?

長男

もともと私とは趣味も性格もぜんぜん違う弟で。彼の方が優れてると思う部分もあれば、自分勝手だなと思うときもあります。ただ、それぞれ違う切り口で、同じ会社をさらにレベルアップさせるというのは僕は悪くないと思う。今の距離もちょうどいいですね。近くにいたら喧嘩すると思うので。

次男

そうですね……(笑)。自分がこの会社にとって「宇宙人」だという自覚はあるので、それでもなんとか貢献できるよう、がんばります。

取材後の帰り道、駅まで車で送ってくれた次男の貴志さん。田園風景に落ちる夕陽を見ながら彼が「兄があんな風に僕のことを言ってくれたのは初めてで、びっくりしました」と、照れくさそうに微笑んでいたのが印象的でした。

山形緞通、まだまだおもしろくなりそうです。

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▶山形緞通Facebook
https://www.facebook.com/yamagatadantsu/

▶山形緞通Instagram
https://www.instagram.com/yamagatadantsu/

▶山形緞通ブランドムービー
https://www.youtube.com/watch?v=pRO5OTqLgwM

▶︎「UMI NO IE」
https://www.umi-no-ie.com/

写真:Kodai Kobayashi

書いた人 : 今井雄紀

1986年生まれ。滋賀県出身。新宿在住。新卒でリクルートメディアコミュニケーションズに入社し、Webディレクターとして勤務。2012年より、フリー編集者として星海社に合流し新書を中心に編集業務を遂行。2017年6月、編集とイベントの会社ツドイを設立。社長1年生です。

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